『粉屋と息子と驢馬』と『パンチャタントラ』
 

『粉屋と彼の息子と驢馬』 は、日本でも大変有名だと思うのですが、しかし、実はこの話は、
正統的なイソップ寓話とは見なされておりません。と、言うのもこの話は、中世以降に作ら
れた話で、ギリシア起源の寓話とは一線を画すからです。ですから、シャンブリ版などの正
統的イソップ寓話集には含まれておりません。

この話を有名にするのに最も功績のあったのは、ポッジョ・ブラッチョリニ(1380-1459)で、
タウンゼントによれば、----15世紀の寓話に最も影響を与えた出版物は、ポジョの
「笑話集」で、その中でも特に「粉屋と彼の息子と驢馬」は重要な話である。との賛辞を
贈っております。

そこで、この話をタウンゼント版で見てみたいと思います。



タウンゼント283(ペリー721)『粉屋と息子と驢馬』

 粉屋と彼の息子が、隣町の市で驢馬を売るために驢馬を引いて行った。歩き出してからすぐ、
彼らは、井戸端会議をしている女将さんたちに出合った。
「ほらみてごらん」一人が叫んだ。「あの人たちときたら、驢馬に乗らずに、とぼとぼ歩いて
いるよ。みんなはあんなのを見たことがあるかい?」

 粉屋はこれを聞くと、すぐさま息子を驢馬に乗せた。そうして、自分はその脇をさも楽し気に
歩き続けた。
 それからまたしばらく行くと、老人たちが熱心に議論しているところへやってきた。

「あれを見なさい」その中の一人が言った。「ほら、わしの言うとおりじゃろう。近頃では、
年寄りにどんな敬意が払われているのだ? 年老いた父親が歩いていると言うのに、怠け者
の息子は驢馬に乗っておる。やくざな若者よ下りるのだ。そして、年老いた父親を休ませて
やりなさい」
 
  こうして、父親は息子を驢馬から下ろすと、自分が驢馬にまたがった。こうして歩いている
と、またすぐに、彼らは母親と子供たちの一団に出くわした。

「あんたときたら、なんて、いけずな年寄りなんだい」数人が粉屋を非難した。「可哀想に小
さな息子は、あんたの脇を、やっとの思いでついて行っているというのに、よく自分は驢馬に
乗っていて平気でいられね」

 気のよい粉屋は、すぐさま息子を自分の後ろに乗せた。こうして、彼らは町の入口にさしか
かった。

「おお、正直な我が友よ」ある市民が言った。「これはあなた方の驢馬ですか?」
「その通りですよ」年老いた父親がこう答えた。

「本当ですか? あんた方二人が驢馬に乗っているのでは、誰もそうとは思わないですよ」男
はそう言うと更に続けた。「驢馬に乗るよりも、自分たちで驢馬を運んだ方がよいのに、なぜ
そうしないんですか?」

「あなたの言うとおりですね、とにかくそうしてみます」

 こうして、粉屋は息子と共に驢馬から下りると、驢馬の脚を束ねた。そして棒を使って肩に
担ぐと、町の入口の橋まで驢馬を運んで行った。この様子を見ようと人だかりができ、人々は
笑い転げた。

 驢馬はうるさいのが嫌いなのに、その上、へんてこりんな扱いを受けたので、縛っている縄
を破ろうと、棒を揺さぶった。そして川に落ちてしまった。

 苦い思いをして、恥ずかしくなった粉屋は、家に引き返すしかなかった。こうして粉屋が得
たものは、全てを喜ばせようとすることは、結局誰も喜ばせないことであり、そのうえ驢馬ま
で失うというということであった。



 
 以上のような話なのですが、恐らく、子供のころ誰もが一度は読んだり聞いたりしているの
ではないでしょうか? この他、日本の古活字版『伊曽保物語』やラ・フォンテーヌの寓話な
どにもこの話は取り入れられています。また、チャーリス版ヒューストン編にも含まれてい
ます。

Bewick's Select fables OF AESOP AND OTHERS. 1783


ところで、この話は、ポジョの笑話集に出ているからと言って、ポジョが作ったということで
はないようです。では誰が作ったのか? 中世の文学の常として、原作者は分からないようで
す。では、この話の起源は? と言いますと、筆者の見たところ、どうも、インドのパンチャ
タントラが基になっているように思えるのです。



パンチャタントラ3.03『バラモンと三人の悪漢』
 

 昔あるところに、火供を護持するミトラシャルマンという名のバラモンがいた。あるマーガ
月(1−2月)のことである。心地よい風が吹き、空は雲でおおわれ、雨神がこよなくおだや
かに雨を降らしていた時、彼は犠牲獣を求める為にある村へ行った。そしてある施主に頼んだ。

「ねえ、お施主さん。来る新月の夜に犠牲祭を行います。そこで祭式の為に一頭の犠牲獣を下
さい」

 そこで、施主は非常に肥えた山羊を彼に与えた。彼はあちこち歩きまわる山羊を見て犠牲獣
に適すると考え、それを肩にかつぎ、急いで自分の町めざして出発した。
 さて、彼が道を歩いて行くと、飢えに苦しむ三人の悪漢がそれを見つけた。彼等は、バラモ
ンが太った山羊を肩にかついでいるのを見ると、お互いに言いあった。

「おい、あの山羊を食えば今日の冷たい雨なんか何でもなくなってしまうぜ。だから奴さんを
騙して山羊を奪ってやろう」

 こうして彼等のうちの一人は身なりを変え、別の道を通りバラモンと対面して言った。

「ねえ、馬鹿な祭官さん。どうしてこのように、人々に嫌悪されもの笑いの種になるようなこ
とをしているのです。不浄なな犬を肩にかついで運ぶなんて! こう言われています。
犬や鶏や賤民、とりわけ驢馬や駱駝・・・・・・。そういうものに触れたら同様に(汚らわしい)と
いわれている。それ故、決して触れてはならぬ」
 
  そこでバラモンは怒って言った。
「おい、お前はめくらなのか? 山羊を犬と間違うなんて」
 男は言った。
「バラモンさん 、怒ってはいけない。気の向くままにお行きなさるがよい」

 さて、バラモンがある森の中にさしかかった時、第二の悪漢が彼に近づいて来て言った。
「ああ、バラモンさん、大変だ、大変だ。死んだ仔牛がどんなに可愛いといっても、肩にかつ
いだりしてはいけないよ。このように言われている。
獣であれ人間であれ。死んだものに触れる人は愚者であるが、牝牛より生ずる五種の品とチャ
ーンドラーヤナにより清められる」

 するとバラモンは怒って言った。
「おい、お前はめくらか。山羊を死んだ仔牛だと言うなんて!」
 男は言った。
「旦那、怒ってはいけない。俺は知らないで言ったんだから。あなたは自分のお好きなように
やればよい」と。

 さて、バラモンがわずかに森の中に入った時、第三の悪漢が近づいて来て言った。
「ああ、これはよろしくない。驢馬を肩にかついで運ぶなんて! こう言われている。
それと知りつつ、あるいは知らないでも驢馬に触れた人は、その過失を消す為に、衣服を着た
まま沐浴せよ、と規定されている。
ですから誰かに見られぬうちにそれを捨てなさい」

 するとバラモンはその山羊を驢馬だと考えて恐れ、それを地面に投げ捨てて自分の家めざし
て逃げ出した。
 それで三人は集まって山羊を取り、望みのまま食べ始めたのである。 (大日本絵画 パンチャタントラ)


話そのものは、随分と違ってはいますが、主題は、「人の言説に惑わされる」というものです
し、それに、話の結末の、バラモンが、背負っていた山羊を驢馬と思って投げ捨てるというの
も、先の、『粉屋と彼の息子と驢馬』にヒントを与えているように思えるのです。

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