「セミとアリ」から「アリとキリギリス」への変遷


イソップが活躍した、ギリシアでは、「セミとアリたち」というようなタイトルだった話が、ドイツやイギリ

スなど、セミのいない地域では、「キリギリス」や「コオロギ」などに変容し、ロシアでは、「トンボ」とな

っている。『だだし、ロシアのトンボへの変容は、・・・現在では、「トンボ」を表す言葉が、19世紀の初

頭までは、「キリギリスやコオロギ」をも表していた可能性が高いそうです。』

(中京大学評論誌 八事 No.14 セミがトンボに化けた謎 木村崇 京都大学総合人間学部教授/

ロシア文学 参照)


トルストイ寓話 1.25 おんなの子とトンボ  やまむら ゆき訳 新読書社
 おんなの子が、トンボをつかまえて、足をむしりとろうとしました。
 おとうさんは言いました。
「夕やけになったら、いつも、このトンボたちは、はねでうたをうたっているんだよ」
 おんなの子は、トンボのはねの合しょうをおもいだし、にがしてあげました。

(この寓話も、木村氏の論文を読めば理解できる)


 

トルストイ寓話 2.13 トンボとアリ 絵 ミハイル・ロマージン 187? 年 やまむら ゆき訳 新読書社


中世の西ヨーロッパでは、イソップ寓話は、ラテン語で書かれた写本が一般的で、ギリシア語の写本は、

コンスタンチノープルに留まり、西ヨーロッパには出回っていなかったようです。

ですから、西ヨーロッパでの、セミからキリギリスへの変容は、事実上ラテン語の"cicada"(セミ)からの

変容ということになると思われます。 (ここで扱っているのは、セミのいる地域(ギリシアやイタリア)から

セミのいない地域へイソップ寓話が伝わる過程での変容についてです。セミとキリギリスについては、こ

れとは別にに、ギリシアの地で、両者ををどのように識別していたか? という問題があります。それは、

イソップの伝記などの記述についても考えなければならないのですが、ここではそのことについては触れ

ることは出来ません)

現存する寓話集の中で、"セミ"が、別の昆虫に置き換えられている例として、一番古いのは、12世紀の

後半(1170-1180年頃)に、マリー・ド・フランスが翻訳した、Del hulchet e de la furmie「コオロギとアリ」 

であると思われます。

しかし、マリー・ド・フランスは、英語で書かれた寓話集を基に、フランス語に翻訳したと言われています

ので、彼女が参考にした英語版自体が、すでに、"コオロギ" となっていたものと思われます。


メディチ家のイソップ寓話集(15世紀) ピエロの息子、ロレンツォが編集させたイソップ寓話集
(全般的にアウグスブルク校定本系統の写本を基にしているようだ)

ゴキブリのように見えるが、セミである。右手の木の上にもセミがとまっている。
セミの生息するイタリアでは、セミはやはりセミであるようだ。
しかし、英訳者はこれを、「THE CRICKET AND THE ANTS」と訳している。


  画像をクリックすると拡大された絵が出ます。


シュタインヘーヴェル版(初版1480年頃)
Aesopus; Steinhowel, Heinrich; Brant, Sebastian. Basel: Jacob <Wolff> von Pfortzheim. 1501  

タイトルは、「De formica et cicada」 (アリとセミ)となっているが、挿し絵には、バッタ(キリギリス?コオロギ?)が描かれている。
 
  * この版はシュタインヘーヴェル版と言っても原本ではありません。挿し絵は、裏返って印刷されています。
    また、屋根の十字架などは原本にはないものです。2000/6/13
 

 

 

 

  イソップ童話 [] 二宮フサ 訳 偕成社文庫 1983 「セミとアリ」

この版はシャンブリ版の文章に、シュタインヘーヴェル版の挿し絵をつけたものだが、
この画像は、シュタインヘーヴェル版の「De formica et cicada」(アリとセミ)(上の絵)
とは別な絵がつけられている。

この絵を見ると、”セミ” とアリが向かい合っているように見える。

しかし、実は、この絵は、「アリとセミ」の挿し絵ではなく、「De musca et formica」 (ハエとアリ)の絵を
流用しているのである。 恐らく、本来の「De formica et cicada」の挿し絵はどう見ても、バッタの仲間
なので、こちらの絵に差し替えたのだろう。セミと言われればセミにしか見えないから不思議である。

変容というものは、こういった些細なことから起こって行くものなのではないでしょうか?
例えば、この画像を見た人は、これを「セミとアリ」の絵であると信じるでしょうから、これをセミの絵として
何かに引用するかもしれません。そして、それが三次・四次・と引用されて行くうちに、全く違ったものになっ
てしまう可能性があるのです。(まあ、それが面白いのだとも思いますが・・・・・)

 

  Aesop's Fables, with his life : 
 London: printed by H. Hills Jun. for Francis Barlow, 1687.

原文のタイトルは、「De cicada & formica」(セミとアリ)となっているが、英語のタイトルは、
「The Ant and Grashopper」となっており、挿し絵にも、バッタが描かれている。
 

 

   

 

 
FABLES OF AESOP :
TRANSLATED BY S. A. HANDFORD, WITH ILLUSTRATION BY BRIAN ROBB 1954.

挿し絵には、キリギリスが描かれているが、「cicada」(セミ)となっている。
 
   

 

 

 

 

GOLDEN FAIRY TALE COLLECTION : Peter Holeinone,1988

挿し絵には、セミが描かれているのに、タイトルは、「THE ANT AND THE CRICKET」
(アリとコオロギ)となっている。

先の四つは、文章に挿し絵をつけたものだが、これは、元々挿し絵のあったイタリアの絵本をイギリスで翻訳しものである。 恐らく、イギリスにはセミがいないので、コオロギとしたのだろうが、この絵を見た子供達が納得したかどうかは疑問である。
 
 

 

  


Aesop The Complete Fables Translated by Oliveia and Robert Temple 1997
336 The Cicada and the Ants  この本はシャンブリ版の英訳版です。

次は画像ではなく、この「セミとアリたち」の解説です。ちなみこの本を翻訳し
ている Temple 両氏はイギリス人です。


ノート: セミの鳴き声はうるさいと暴言を吐く人がいます。しかし、セミの鳴き声は人の心を打つ素晴らしい響き

なのです。一般にセミは集団となって歌います。そして、その骨頂は、集団の波長が重なり合う時です。それは、

まるで浜辺にうち寄せる波のようです。このセミの合唱に慰められる人は大勢います。セミたちが歌ってさえいれ

ば、誰も独りきりではないのです。


 どうして、これが「セミとアリたち」の解説なのか? とちょっと疑問を感じないわけでもないのですが、なる程、

イギリス人も虫の声を鑑賞するのだ・・・。「浜辺にうち寄せる波」the sea landing on the shore. とは、きっと蝉時

雨の事なのだろう・・・などと想像も膨らみます。そこで次を読みますと・・・・・


  中国では、セミは小さな竹の篭に入れられて売られています。それを家に持って帰り、家の中に吊して歌声を

楽しむのです。そして注意深く餌を与え、ペットとして飼うのです。時に中国人は、セミと一緒に出かけます。彼ら

は、携帯ラジオを持ち歩くように、セミの歌声を楽しむのです。


テンプル両氏とも中国通らしいのですが・・・。それにしても、中国人は"セミ"を、竹篭に入れて飼うのでしょうか?

中国に留学していたという人に聞いたところ、「いくらなんでも、セミは飼わない」とのことでした。恐らくテンプル氏

は、コオロギやスズムシなどを、Cicadaと考えているのではないでしょうか?

こうしてみますと、現在、辞書の上では、Cicadaは、一般に「セミ」となっていますが、イギリスなどセミの殆ど見か

けない地域の人たちにとっては、それが、「コオロギ」なのか「セミ」なのか見分けがつかないのかもしれません。

 ところで、中国に留学していた人の話によると、中国の都市部では、虫の鳴き声のする「オルゴールのようなも

の」が売られているそうで、それを携帯ラジオのように、持ち運んで聞いているそうです。

中国に関する情報提供は、サキさん。

 


セミは木の上で鳴くばかりではなく、草むらや岩場で鳴く種類もいます。
沖縄に生息する小さなセミは、草むらで鳴くそうです。
下の写真は、高山の岩場に生息するセミ。

磐梯山の標高1600m 辺りのガレ場。2001/06/03日撮影 全景はこちら

足元の岩からセミの鳴き声が聞こえてくるので、とても不思議な感じがします。

 

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