新説、セミの挿し絵はハエである。

 

現在日本では、殆ど知られていないのですが、イソップ寓話に、「ハエとアリ」という話があります。

この話は、西洋では非常に有名で、16世紀にイエズス会の宣教師が日本にもたらしたイソップ寓話集にも収め

られており、1593年に出版された天草版『イソポのハブラス』にも17世紀に出版された仮名草子『伊曽保物語』

にもこの話は収められています。

 しかし、明治以後に日本に入ってきた、タウンゼント版やトーマス・ジェームス版、チャールス版などには、どうい

うわけかこの話が入っておらず、さらにこの話は、ギリシア起源ではなく、ラテン系のパエドルスの翻案であるた

め、ギリシア起源の正統派のイソップ寓話集にも収められておりません。勿論、明治以後、全くこの話が消え去っ

てしまったわけではなく、「イソップ物語・新村出・アルス社」や「イソップ寓話集・渡辺和雄・小学館」などで拙者は

見かけた記憶があります。最近では、「叢書アレクサンドリア図書館X イソップ風寓話集 パエドルス 岩谷智・国

文社」には勿論収められています。

話は次のようなものです。


L’Estrange34『アリとハエ』

ある時、アリとハエが激しい言い争いをした。

「世界中いたる所を楽しむ特権を私は有しているのです」ハエが言った。「寺院などあらゆる建物の扉は 私のた

めに開いています。私は神に捧げられた生贄や王の宴会の料理を全て味見するのです。私は金や銀も思い の

まま、その上、肉や酒は最上で、しかも、金は一銭も払う必要はない。王冠を踏みつけ、私の気に入った 婦人の

唇に口づけするのです。こうしたことが一つたりとて君にできますか?」

「なんていうことでしょう」アリが言った。「あなたは、神々の祭壇やお姫様方の戸棚や、饗宴だろうと 軽食だろうと

あらゆる所へ出入りできると自慢しているようですが、あなたはお客ではなく、単に侵入しているだけで はないの

ですか? 人々はあなたのような者を大いに疎み、あなた方を捕まえたらすぐさま殺すのではありません か。あ

なたは、彼らにとって、疫病神以外の何者でもありません。あなたの息は蛆をはらみます。あなたはキス のことを

自慢しますが、この臭いは何でしょう。まさか、糞の山に触って持ち帰ったわけではないでしょうね。私 は、誰の厄

介にもならずに暮らしています。そして、冬のことを思って、夏一生懸命働きます。それに対して恥ずべ きあなた

の人生は、不正を働いて騙すばかりで、半年もすれば、飢えて死ぬかどうかするしかないのです」

教訓

  労働と贅沢についての話が象徴的に描かれています。そして全うな暮らしの素晴らしさと、恥ずべき堕落した

生活をする者について語られているのです。

Pe521 Pha4.25 Ste37 Cax2.17 L'Es34 Odo111 Ernest9 Bewick2.6 Marie86 イソポ1.16 伊曽保2.28
Laf4.3 Kry7.10 Type280A(Formerly249)=TMI.J711.1, J2426.6 J.index495


イソップ寓話としては結構長い話の部類に入るのですが、この話は、Odo of Cheritonや、ラ・フォンテーヌや、

Ernest、Bewick、シュタインヘーヴェル版など多くの版に収められています。

但し、クルイロフでは、この話は「蝿と蜜蜂」となっています。一般に、クルイロフはラ・フォンテーヌから翻案した

とされているのですが、どうやらこの話は、ラ・フォンテーヌからではなく別の版からの翻案のようです。というのは、

12世紀のMarie de France の作品がすでに、「De la musche e de l'ef」(蝿と蜂) となっているからです。

ところで、「セミとアリ」から「アリとキリギリス」への変遷  というページでも少し触れているのですが、「イソップ童

話・二宮フサ訳 偕成社文庫」の、「セミとアリ」の挿し絵は、シュタインヘーヴェルの「De formica et cicada」(アリと

セミ)の挿し絵ではなく、「De musca et formica」(ハエとアリ)の挿し絵が流用されています。これは、シュタインヘー

ヴェル版の、「アリとセミ」の挿し絵が、「セミ」ではなく「バッタ、や、コオロギ、」のような虫が描かれているからで、

それで、「ハエとアリ」の絵を流用したようです。

 

Aesopus; Steinhowel, Heinrich; Brant, Sebastian. Basel: Jacob <Wolff> von Pfortzheim., 1501  
Aesopus; Steinhowel, Heinrich; Brant, Sebastian. Basel: Jacob <Wolff> von Pfortzheim., 1501


(De formica et cicada)「アリとセミ」の挿し絵。どう見てもバッタのようなものが描かれている。

 

(De musca et formica) 「ハエとアリ」の挿し絵。本来は、ハエとして描かれているが、偕成社版では、この絵が
「セミとアリ」の話に流用されている。

 

ところで、16世紀に宣教師が持ち込んだ、イソップ寓話集は、シュタインヘーヴェル系の寓話集であったのではな

いかと考えられています。ですから、「アリとセミ」の挿し絵には、「コオロギやバッタ」のような虫が描かれていた

可能性があるのですが、17世紀の中頃に日本で出版された、絵入りの伊曽保物語の「蟻と蝉との事」の挿し絵

は次のようになっています。

次に、この「伊曽保物語」の「セミ」とシュタインヘーヴェルの「ハエ」を比較してみたいと思います。

これは、蝉だけとり出して、反転させてみたのですが、随分と似ているのではないでしょうか?

先にも言いましたように、「伊曽保物語」には、「蝿と蟻と事」という話も入っているのですが、それには、挿し絵

はありません。もしかすると、それはその、「ハエ」の挿し絵を、「セミ」の挿し絵に流用したためではないでしょう

か? 

以前、拙者は、別なページで、「伊曽保物語の絵師は、宣教師の持ち込んだ原本の挿し絵は参考にしていない

だろう」 と書いたのですが、それは間違いだったかもしれません。

 

付記

シュタインヘーヴェル版の挿し絵などは、反転されて印刷されているものが数多くあります。実は、上の

(De formica et cicada)の挿し絵も裏返って印刷されているのです。

ですから、この「ハエとアリ」の絵も、上の比較図のように、裏返って印刷されていたとしても何ら不思議ではない

のです。(今回は反転させたのは、画像処理上伊曽保物語の方でしたが)

ところで、今回、「新説」と銘打ったのですが、すでに「セミの挿し絵はハエである」といような考察をしていた、

または、そういう説を読んだことがあるという方は是非お教え下さい。(冗談ですので・・・。2003/11/01)

2000年6月20日

 

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