(4)アリとキリギリスの変遷


先に見たように、戦後から1979年にかけては、アリがキリギリスに「食べ物を分けてやる」話が、 比較的多く作られているのですが、しかし、1980年以降を見ますと、「食べ物を分けてやる」話 は、激減します。 ここには、転換点となった、何かがあるように思われます。そこで、まず、タイトルの変遷について見 てみたいと思います。  以下 を参照下さい。
表をご覧頂けると分かると思うのですが、「食べ物をやらない」話と「食べ物をやる」話とを比較して みると「食べ物をやらない」話では、「せみとあり」というタイトルの割合が高く、「食べ物をやる」 話では、「ありときりぎりす」というようなタイトルの割合が高くなっています。  元々原典のタイトルは、「蝉と蟻たち」で、しかも結末は「食べ物をやらない」話ですので、タイト ルが原典に近ければ、内容も原典に近いものになるというのは、当然と言えば当然かもしれません。  そして、「戦後〜1979年」までの作品と、「1980年〜1997年」までの作品とを比較した 場合でも、同じようなことが言えます。前者では、「食べ物をやらない」話であっても、「ありときり ぎりす」というタイトルの割合が高く、後者では、「せみとあり」というようなタイトルの割合が非常 に高くなっています。  これを、1979年〜1987年の「食べ物をやらない」話に限って見てみますと、なんと17冊中 12冊が「せみとあり」というようなタイトルになっており、他の5冊を見ても、1冊は「ありとせみ」 もう1冊は「きりぎりすとあり」という具合で、「ありときりぎりす」というようなタイトルは、僅か に3冊しかありません。  つまりこの時期、「原典主義」ともいうべき現象が現れているのです。しかし、その後、1988年 以降は、また、「ありときりぎりす」というようなタイトルが幅を利かせるようになって行きます。 1979年〜1987年にかけては、ちょうど、「食べ物をやる」話から、「食べ物をやらない」話へ の転換時期と重なります。  つまり、「食べ物をやらない」話に転換するに当たって、今までの、イメージを払拭しようと、「せみ とあり」というような、題名に変えて、今までの「ありときりぎりす」との差別化を図ったのではないか と思えるのです。    または、「食べ物をやる」話から、「食べ物をやらない」話へ移行する際に、「なぜ、わざわざ残酷な 話に変えるのか!」というような、批判をかわすために、「原典に忠実である。」というような、お墨付 きが必要だったとも考えられます。  1988年以降、また、「ありときりぎりす」というようなタイトルに回帰して行くのは、「食べ物を やらない話」への移行が完了し、やはり、世間一般に通っている。「ありときりぎりす」という題名の方 が、分かり易いということになったのではないかと思われます。
 ところで、本のタイトルを見てみると、ほとんどが、「イソップ童話」や「イソップ物語」というよう な題になっており、「イソップ寓話」というようなタイトルになっている本は、数点しかありません。  つまり、ここには、イソップ寓話を、「教訓を与えるための読み物」としてではなく、「単なる物語」 として捉えようとする姿勢が窺えるのです。勿論、物語の最後に、教訓がつけられている本も数多くある のですが、やはり、物語自体を楽しむのが主であり、教訓は付け足しというような印象を受けるのです。 「子供に教訓が分かるのか?」というようなテーマまにつきましては、筆者の手には余るものですので、 掲示板やメールなどで、お教え頂ければ、とても有り難いです。 戻る

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