「アリとキリギリス」(2)日本のモラルは低いか?

(2)日本のモラルは低いか?


蝉と、蟻との事。

 或る冬の半に蟻ども数多穴より五穀を出いて日に曝し、風に吹かす るを蝉が来てこれを貰うた、蟻の言ふは、「御辺は過ぎた夏、秋は何 事を営まれたぞ?」蝉の言ふは、「夏と、秋の間には吟曲にとり紛れ て、少しも暇を得なんだによつて、何たる営みもせなんだ」と言ふ、 蟻「げにげにその分ぢや。夏秋歌ひ遊ばれた如く、今も秘曲を尽され てよからうず」とて、散々に嘲り少しの食を取らせて戻いた。       (吉利支丹文学集2 新村出 柊源一 校註 東洋文庫)

湯沢教授は、以上のような、天草版の「蝉と蟻との事。」の結末について、 『おそらく、当初ポルトガル宣教師は、原文どおり、「散々にあざけりたり」で終わりたかったに違いあ りません。ところが弟子の日本人に受けないからと、無理にあとの言葉を付け加えたのでしょう。何やら 株主総会にたかるゴロツキにつかみ金を渡す感じですが、こういった感情が秀吉時代にも存在していたと いうのは正に驚きです。』 と、仰っていますが、まず、どうしてこの結末が、株主総会にたかるゴロツキにつかみ金を渡す感じがす るのかが、疑問です。この場合、散々にあざけっているのは、蟻の方ですから、これはどう見ても、哀れ な蝉に施しをしているのであって、ゴロツキにつかみ金を渡すという図ではありません。 それに、ゴロ ツキにつかみ金を渡す話なら、イソップ寓話にもっと適切な話があります。

六 (羽をむしられた)鷲と狐

 或るとき一羽の鷲が或る人に捕えられました。その人は鷲の羽を短く切り取って家の中に鶏と 一緒に放っておきました。しかし鷲は頭をうなだれて心痛のために何一つ食べようとせず、さな がら捕われた王様のようでした。他の或る人がその鷲を買っていって、羽を引き抜いた上で、そ の後を没薬でこすって羽をはやしてやりました。鷲は飛び立って、それから爪で兎を捕えて、そ れをその人に贈物としてもってきました。狐がこれを見て言いました。「贈るのはこの人でなく て最初の人にし給え。というのは後の人は生まれつき善い人なんだから。それよりも先の人と仲 よくし給え。どうにかしてまた君を捕えて羽をむしると困るからね。」  これは、恩人には立派なお礼返しをしなければならない、そして悪い人は考え深くさけなけれ ばならない、ということなのです。                                 (イソップ寓話集 岩波文庫 山本光雄訳)

「悪い人は考え深くさけなければならない」とは、「悪い人を避けるためには、贈物でもなんでもして 機嫌を取れ!」と、いうことでしょうか? まさに、株主総会を滅茶苦茶にされた社長に、総会屋につ かみ金を渡すようにと、入れ知恵をしているような図です。  イソップは紀元前6世紀頃の人ですから、西洋ではこのような感情が実に、二千五百年以上も前から あったということになります。しかし、これは不思議でも何でもありません。  イソップ寓話については、人それぞれ色々な捉え方があると思うのですが、イソップが奴隷であった というようなことから、これを、奴隷の道徳である。と考える向きもあるようです。例えば、『イソッ プ寓話集』の翻訳者の山本光雄は、この本の解説で次のように述べています。
 およそ、寓話は動物などの性格・行為に託して道徳的教訓を与えるところに、他の物語類と異 る点があると思われるが、この『イソップ寓話集』のうちに見られる道徳的教訓はギリシア民衆 一般の日常の道徳的教訓であり、処世術である。その主眼とするところは、如何にすれば人は安 穏に幸福にこの世を過ごせるかということである。そのためには友人に忠実であれとか、御恩を 忘れるなとか、運命を諦めよとか、骨惜しみをするなとか、あるいはさらに、長いものには巻か れよとか、他人の愚かさを利用せよとかいうようなことまでも説くのである。アイソポスの寓話 を以て「範例による哲学」と称した者もいるが、それはソクラテス、プラトン、アリストテレス などの道徳観とは大いに異っている。悪く言えば、やはり奴隷の道徳である。従ってこの寓話集 を読むわれわれとしては、そこにわれわれの日常の道徳的規範を求めるべきではなく、むしろギ リシア民衆の道徳観や処世術を見ると同時に、凡俗醜悪な人生の活図を見るぺきである。それに よってわれわれは人間智を鋭く深く広くすることができるであろう。                                                  (イソップ寓話集 岩波文庫 山本光雄訳)

「(羽をむしられた)鷲と狐」は、この典型的な例と言えるかもしれません。しかし、「北風と太陽」 などの例を待つまでもなく、イソップ寓話には、奴隷の道徳とばかりは言い切れない話もたくさんあり ますので、筆者としては、山本光雄の意見、全てに賛成することはできませんが、イソップ寓話には、 奴隷の道徳という面があることは間違いないと思います。
ところで、湯沢教授は、天草版「イソポのハブラス」について、 『おそらく、当初ポルトガル宣教師は、原文どおり、「散々にあざけりたり」で終わりたかったに違いあ りません。ところが弟子の日本人に受けないからと、無理にあとの言葉を付け加えたのでしょう。』 と、仰っていますが、このテキストは、湯沢教授も指摘している通り、外国人宣教師の日本語訓練用のた めのテキストですので、「弟子の日本人に受けないから」などというような、日本人に対する配慮が必要 であったとは、あまり考えられないのです。  ところで、古活字版「伊曽保物語」のこの話はどのようになっているか、見てみたいと思います。
  

ありとせみの事

去程に、春過、夏たけ、秋もふかくて、冬のころにもなりしかば、日のうらうらなるとき、あり、 あなよりはひ出、えじきをほしなどす。せみ、きたつて、あり申は、「あないみじのありどのや、 かかるふゆざれまでも、さやうにゆたかに、えじきをもたせ給ふものかな。われにすこしのえじ きをたび給へ」と申ければ、あり答云、「御辺は、春あきのいとなみには、なに事をかし給ひけ るぞ」といへば、せみ答云、「なつあき身のいとなみとては、木末にこたふばかりなり。そのを んぎよくにとりみだし、ひまなきままにくらし候」といへば、あり申けるは、「今とても、など うたひ給はぬぞ。うたひちやうじてはつゐにまひとこそは、うけたまはれ。いやしきえじきをも とめて、何にかはしたまふべき」とて、あなに入ぬ。そのごとく、人の世にある事も、我力にお よばんほどは、たしかに世の事をもいとなむべし。ゆたかなる時、つづまやかにせざる人は、ま づしうしてのち、くゆる物なり。さかんなるとき、がくせざれば、老て後、くゆるものなり、ゑ ひのうちに、みだれぬれば、さめての後侮る物なり。返々も是を思へ。                              (古活字版 伊曽保物語 勉誠社)

この結末を見てみると、「夏に歌っていたのに、何故今はお歌にならないの? 大いに歌って、舞い踊 ればよろしいのに。卑しい食べ物などあなたの口に合いますまい」と、いうような嫌みを言って、蟻は、 穴の中へ入ってしまうというように、これは原典と同じような結末になっています。  先に説明しましたように、この古活字版「伊曽保物語」は、(1596−1624)にかけて、7回も版を重 ねた程、人気のあったものです。それこそ純粋に日本人が読むことを前提とした話なのに、どうしてこ ちらは、改変されていないのか? 別に筆者は、これを以て、日本人のメンタリティーは、など云々し ようとは思いません。今となっては、知る術がない。というのが正直な感想です。そして、天草版「蝉 と蟻との事。」にしても、「日本人の弟子に受けないから」改変した!というような結論は、余りに拙 速であるように思えるのです。
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