(5)なぜ、日本では、助けてやる話に変容したか?

日本で、「ありときりぎりす」の結末が「助けてやる」話に変容したのは、戦後の甘やかしの教育のせい である。と言うような論調が、よく見受けられるのですが、戦後のある時期、残酷な話は、子供の教育上 よくないということで、日本の昔話も含めて、残酷なシーンをカットするというようなことが、頻繁に行 われたそうです。「ありときりぎりす」の話も、この一環で改変されたという部分もあるものと思われま すが、しかし、この場合どうも一筋縄ではいかないようです。 筆者は、もし、甘やかしによる改変がなされたとしたならば、イソップ寓話の他の話でも、改変がなされ ているのではないかと仮定して、「オオカミ少年」の話について調べてみました。 つまり、もし、甘やかしがあるとするならば、「嘘をついた羊飼いが、最後にうまく助けてもらえる」と いうような話があるのではないかと考えたのです。例えば、「たまたま通りかかった猟師が助けてくれる」 というような改変があるのではないかと・・・。 しかし、残念ながら筆者の調べた限りではそのような話は、一つもありませんでした。 ところで、このオオカミ少年の原典の結末は、「こうして彼は羊の群を失うことになりました。」という ように、羊の群が食べられるだけで、羊飼いが食べられてしまうというような話ではないのですが、日本 の話を調べてみますと、「羊飼いが食べられてしまう」というように、原典よりも更に厳しくなっている ものが結構あるのです。 そして驚いたことに、このような厳しい話を書いた作者の、「アリとキリギリス」を見ると、「助けてや る」というような、話になっている割合が非常に高いのです。調べた結果は次のようなものでした。

羊飼いが食べられてしまう話。アリとキリギリスでは、「食べ物を分けてやる」

イソップのお話 オールカラー版 世界童話1   小学館  波多野勤子 監修  幼年世界名作文学全集9 イソップ童話       小学館  波多野勤子 1963 同上 偕成社版 幼年絵話全集(4) イソップものがたり  偕成社  久保喬 1969  ひろすけ幼年童話文学全集 イソップ童話      集英社  浜田広介 1961 イソップ絵文庫 ねずみのそうだん         日本書房 浜田広介 1979  5さいから7さい イソップどうわ 名作せかいのおはなし  平塚武二 1965 イソップどうわ 世界のどうわ12         偕成社  平塚武二 1969 同上 イソップ物語                   偕成社  土家由枝雄 1959 ひらかなイソップものがたり第12         金の星社 与田準一 1964

羊飼いが食べられてしまう話。アリとキリギリスが、掲載されていない話。

イソップ物語 アルス 新村出 1929 きたかぜとたいよう こどものための世界童話の森 集英社 立原えりか 1983

羊飼いが食べられてしまう話。アリとキリギリスでは「食べ物を分けてやらない」

イソップおはなし絵本 主婦と生活社 立原えりか  こども絵文庫6 イソップ歌ものがたり 羽田書店 八波則吉 1950
筆者は、このことに気付き大変混乱しました。片方は甘く改変し、片方は厳しく改変するというような、 正反対の改変が重なることなど、普通では考えられません。 ここには作為的なものがあるように思えるのです。 もし、ある大御所が、このようなダブルスタンダードな話を作って、それに他の作家が追随したと考える ならば、この奇妙な一致の謎が解けます。 80年以降「助けてあげる」という話が激減したのは、おそらく、大御所の影響力が消え失せたからだと 思われます。それに、結末を改変することに対しては、「諸君」と「朝日新聞」という、右左を代表する メディアから非難されていますので、大御所がいなくなって、好きこのんで「助けてあげる」話を書く人 はいなくなったのかも知れません。 注:(ここで言う大御所とは、特定の人物を想定しているわけではありません。) 戻る

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