1.「アリとキリギリス」を巡っての日本人論

「蝉と蟻たち」の話は、日本でも大変有名な話だと思いますが、ただ、題名は、
「アリとキリギリス」となっていることも、多いようです。
ところで、この寓話の結末なのですが、皆さんの読んだ話はどのようなものだった
でしょうか? 

アリはキリギリスに食べ物を、 「1.分けてやる」 「2.分けてやらない」

この結末の違いについては、比較文学などの立場から、色々と取り沙汰され、ひいて
は、日本人論にまで発展することが、ままあるようです。

そこで、今回は、アリとキリギリスについて、一体どのような議論がなされているの
か、また、その議論の問題点などについて、考えてみたいと思います。

次の湯沢雍彦氏(お茶の水女子大学教授)の論文は、朝日新聞に掲載されていたもの
なのですが、この論文には、これらの問題が凝縮されておりますので、まずこの論文
をご覧下さい。


1993年6月18日 朝日新聞朝刊  散・策・思・索 「アリとキリギリス」の四百年   湯沢 雍彦

 
 昨年は「コロンブスのアメリカ発見五百年」ということでヨーロッパ中が湧(わ)き立ちま

したが、日本にとっては、今年の方がより意義が深いと思われます。それは、西欧の文明思想

が印刷物というはっきりした形で日本につたえられてからちょうど四百年目に当たるからです。


 一五九三年に当たる文禄二年(豊臣秀吉が朝鮮出兵を行った翌年)、九州の天草でポルトガル

風のローマ字で綴(つづ)られた「伊曽保(いそほ=イソップ)物語」が、印刷刊行されました。

外国人宣教師の日本語訓練用のためで、ローマ字で綴られた日本語なのです。イエズス会宣教師

ヴァリニャーノが伝えた活字印刷による天草版で七種作られましたが、その一冊目がこれでした。

何部刷られたのか分かりませんが、世界にただ一部、大英博物館に残されています。

 この本の巻頭を飾るのが、有名な「蝉(せみ)と蟻(あり)」のお話です(日本では、明治時

代に英語版から翻訳されたので「アリとキリギリス」になりました。イギリスには蝉がいないの

でキリギリスに置き換えられていたのです。東欧ではコオロギになっている例が多いようです)。

そもそもの原典はギリシャ語ですから、その忠実な訳文を紹介してみましょう。

 「冬になって、穀物が雨に濡れたのでアリが乾かしていますと、おなかの空(す)いたセミが来

て、食べ物をもらいたいと言いました。『あなたは、なぜ夏の間食べ物を集めておかなかったんで

す?』『暇がなかったんです。歌ばかり歌っていましたから』と、セミは言いました。すると、ア

リは笑って言いました。『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』」(河野与一訳『イソップのお

話』岩波少年文庫)

 これは、日本にたくさんあるイソップ童話のどの本とも同じようにみえますが、大きく二つ違い

ます。一点は、とても短いこと、もう一点は、結末です。


 日本のものは、たとえば波多野勤子監修・小学館版の『イソップ物語』では、「さあ、遠慮なく

食べてください。元気になって、ことしの夏も楽しい歌を聞かせてもらいたいね・・・・キリギリ

スは、うれし涙をポロポロこぼしました。」で終わっており、類書もほとんど似たような結末です。

ところが、原典では、前に見たような突き放しで終わっており、食べ物を恵んでなぞやらないので

す。ヨーロッパではどこの国でも、ごく一部を除きこれと同じ冷たい形で終わっています。

 ですから、この結末はかなり大きな日本的変容で、まるで違う原理の話になってしまっています。

 イソップは、「自助の努力を怠るな」を強調する話を作ったのに、日本では「苦しい者にはお情

けを」の話に変えられています。これは、育児理念の根幹にかかわる問題です。平川祐弘先生(福

岡女学院大学教授、比較文学)によると、日本流の結末を聞いた西洋人は、「馬鹿な・・・・子供

を保育器の中に入れて育てる式の、無菌状態で育てるのが、理想的な教育でもあるまい」と批判す

る人が多いとのことです(平川「イソップ物語にみられる西洋人の倫理と日本人の倫理」)。

 ところで、四百年前の天草版の結末はどうだったでしょうか。「蟻、げにげにその分ぢや。夏秋

歌い遊ばれたごとく、今も秘曲を尽されてよからうずとて、散々にあざけり、少しの食を取らせて

戻いた」と結んでいます。ここが微妙なところです。

 おそらく、当初ポルトガル人宣教師は、原文どおり、「散々にあざけりたり」で終わりたかった

に違いありません。ところが弟子の日本人信者たちが、それでは日本人に受けないからと、無理に

あとの言葉を付け加えたのでしょう。何やら株主総会にたかるゴロツキにつかみ金を渡す感じです

が、こういった感情が秀吉時代にも存在していたというのは正に驚きです。


 ところでみなさんは、キッパリ断って自立心を植え付ける西洋流と、苦しい時にはさぼった人でも

助けてあげる日本流と、どちらが子供のために役立つ教訓だとお考えでしょうか。

 私のクラスの女子学生八十名に質問してみたところ、ほとんど半々に分かれました。最後まで迷っ

ていた学生に聞いてみたところ、「もし西洋で暮らすのでしたら、迷わず西洋流でいきますが、日本

で暮らす限りは日本流で過ごさなくてはと思うので」と理由を説明してくれました。

 この短い寓話(ぐうわ)は、四百年たつてもなお日本人には、難しい課題として残されているのです。

                                            (完)

さて、この論文を基に、次のことについ考えてみたいと思います。


(1)論文の基本的な誤り

(2)日本のモラルは低いか?

(3)日本の話は、本当に「助けやる話」か?  戦後に出版された「アリとキリギリス」107冊を基に検証してみます。

(4)アリとキリギリスの変遷

(5)なぜ、日本では、助けてやる話に変容したか?

(6)日本と西洋との捉え方の違いについて




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