兎と亀にまつわる話 
 

1928年のアムステルダムオリンピックの女子陸上800メートルで、銀メダルに輝いた人見絹枝

は、現地の子供たちに、日本の歌を教えてとせがまれ、「兎と亀」の歌を教えたそうです。そして試

合当日、スタンドから「もしもし亀よ、亀さんよ世界のうちでお前ほど、歩みののろい者はないどうし

てそんなにのろいのか・・・・」というような歌声が聞こえてきたそうです。

陸上の銀メダリストが「兎と亀」の歌を教えたということ自体、面白いのですが、・・・・日本の歌を教え

てとせがまれ、ギリシア起源の話を題材とした「兎と亀」の歌を教えたというのも、とても面白いと思

います。おそらく、人見絹枝は「兎と亀」の話を日本の昔話と考えていたのではないでしょうか。

 イソップ寓話には、「北風と太陽」や「アリとキリギリス」など、有名な話はたくさんありますが、

しかし、それらを日本の昔話と勘違いすることはあまりないと思います。「兎と亀」の話が日本の昔話と

勘違いされるのは、童謡の影響が大きいのかもしれません。子供の頃から聞かされて、知らず知らずの

うちに口ずさむようになっていた歌詞なのですから、それを日本の昔話と考えるのが自然です。しかも

一連の昔話の童謡は、「桃太郎」「金太郎」「浦島太郎」「一寸法師」「花咲か爺」など純然たる日本

の昔話を題材にしているのですから、まさか、「兎と亀」だけ外国の話だとは普通は考えません。

 このように「兎と亀」の話は、イソップ寓話の中でも特異な存在なのですが、さらに、面白いことに

この話には、後日談まであるのです。


昔話タイプインデックス579『兎と狼』

競争で亀に負けた兎が、村の仲間たちに追放される。

狼が兎の村に、子兎を献上せよ、と言ってくると、追われた兎が引き受ける。

兎は狼を崖の上におびき出し、こわい顔をむこうに向けると子兎を連れてくる、とだまし、狼を崖から突き落とす。

兎は仲間のところにもどることができる。

(日本昔話通観 28 昔話タイプインデックス 稲田浩二 同朋舎)


NHKの「日本人の質問」1999年1月10日放送

かけっこに負けたウサギは、カメに夜明けのお日様を早く見つける競争を申し込み、必ず勝てるようにと、カメに

西を向かせ、自分は東を向いている。しかし、太陽が昇るより先に、東の山の陰から差した光が西の山に当たっ

たため、ウサギはまた負ける。(岡山県川上郡備中町に伝わる昔話)


 これらの後日談は、昔話とは言っても、恐らく明治以後に作られたものと思われます。(この話の基となったも

のは古くからあるのかも知れませんが、兎と亀の後日談として成立したのは明治以後と思われます)特にNHK

の「日本人の質問」で出題された話は、一般には、鳥の王様を決める話で、主役はミソサザイになっていることが

多いようです。

 ところで、「兎と亀」の話が日本に伝えられたのはいつか? という問題なのですが、一般に、16世紀にイエズス

会の宣教師によって伝えられた。というのが定説になっているようで、NHKの「日本人の質問」でも、そのような解

説がなされていたのですが、しかし、その根拠が曖昧なのです。そもそも、当時日本で出版された、「イソポのハブ

ラス」や「伊曽保物語」にはこの話が載っていませんし、明治以前の版で、「兎と亀」の話の載っている本があると

いう話も耳にしたことがないのです。(もしご存じの方は是非お教え下さい) 

 可能性として考えられるのは、宣教師が持ち込んだ原本には、「兎と亀」の話が載っていたかも知れない。という

ことなのですが、これ自体、それほど蓋然性が高いとは思えないのです。 と言うのも、当時広く流布していた、シュ

タインヘーヴェル版にも、兎と亀の話が入っておらず、更に、シュタインヘーヴェル版の種本となった、ロムルス版

やアウィアヌス版にもこの話は入っていないのです。つまり、中世から近世にかけての代表的なイソップ寓話集に

は、「兎と亀」の話は入っていないのです。 もちろん、この他の版から「兎と亀」の話が取り入れられていた。という

可能性が全くないわけではありませんが、筆者は、「兎と亀」の話は、明治以後、教科書や童謡などを通じて日本

中に急速に広がり深く浸透したと考えたいと思います。

 こうして、「兎と亀」の話が日本に深く根付き、日本の昔話と勘違いされる程になると、今度は、外国

の類話と比較して日本人論が展開されるという奇妙な現象が起こったりします。


兎と亀の競争 (仏教とっておきの話366夏の巻 ひろさちや 新潮文庫)
 

「兎と亀」の話がある。兎が脚の遅い亀をからかい、「それじゃあ・・・・・」ということで

競争をすることになった。しかし、兎は油断して昼寝をし、結局は負けてしまった、と

いう話である。

「では、兎はどうすればよかったか?」

 と問えば、たいていの日本人は、兎は油断せず、昼寝しなければよかった---と答え

る。まあ、あの話は油断を戒めたもので、それが「正解」であろう。

 ところが、こんなふうに言う人がいた。

「亀がいけません。兎は悪くないのです。悪いのは亀です。兎が昼寝をしている横を通

るとき、"もしもし兎さん、目を醒ましたらどうですか・・・・・・"と、亀はなぜ声をかけて

あげなかったのでしょうか。それが友情ではありませんか」

 それを聞いて、わたしはびっくりした。ついぞいままで、そんなことは考えたことが

なかったからである。

 この「兎と亀」の話は、ペルシアにもある。しかし、ペルシア版「兎と亀」は、だい

ぶ日本版と違う。競争の前に、亀は自分そっくりな弟をゴールに立たせておいて、そ

れで亀が競争に勝ったことになっている。ペルシア版は、そのような亀の智恵を称賛す

る話とされているわけだ。

 では、インド人はどうか・・・・?

 ためしにわたしは、二、三人のインド人に質問した。すると、インド人も異口同音に、

「亀が悪い」と言う。亀には友情がないと、彼らは「友情」を強調した。

「でも、友情を発揮すれば、競争に負けるではないか・・・・・」と、わたし。

「競争に負けてもいいじゃないか。どうしておまえは、そんなに競争にこだわるの

か?!」と、インド人の一人が言った。

 もう一人のインド人はこう言った---「兎は昼寝をしていたと言うが、もし兎が病

気で苦しんでいたとすれば、どうなるんだ?! やっぱり声をかけてあげるべきだ」と。

 わたしは、競争、競争・・・・・と、競争ばかり叫んでいる現在の日本人が恥ずかしくな

った。日本人は大事なものを忘れているように思えてならない。
 


このエッセイは、同著「昔話にはウラがある・第14話 兎と亀」から抜粋して一部手直しをしたもの

のようなのですが、「兎と亀」がギリシア起源のイソップ寓話であるということが、すっぽりと抜け落

ちてしまっています。(「昔話にはウラがある」の方では、一応、この話がイソップ物語であるという

ようなことが書かれているのですが、それでも、どういうわけか、日本の固有の話であるが如くに論じ

られています。詳しくは、「昔話にはウラがある」をお読み下さい。)



シャンブリ352(ペリー226)亀と兎

 亀と兎が速さのことで争いました。そこで彼らは日時と場所とを定めて別れました。ところが

兎はもって生まれた速さを恃んで駆けることを忽かにし、道をそれて眠っていました。亀の方は

自分の遅いのをよく知っていましたから、休まず走りつづけました。こうして亀は眠っている兎

の側を走り過ぎて目的に達し、勝利の褒美を獲ました。

 この話の明らかにするところは、生まれつきがゆるがせにされると、それはしばしば努力に打

ち負かされるものだ、ということなのです。 (イソップ寓話集 山本光雄訳 岩波文庫)


 こうして、原典を見れば分かる通り、日本で知られている「兎と亀」の話は、別に特殊な話というわ

けではなく、世界中で読まれている「兎と亀」の話と同じものなのです。恐らく、ペルシアやインドに

も、"日本版" と同じ「兎と亀」が出版されているはずなのです。

 では、ペルシア版「兎と亀」とは何なのか? と言えば、これは、イソップ寓話の「兎と亀」とは全

く別な話でありますし、インドの人の「友情がない」との批判は、「兎と亀」のパロディー的解釈と言

えると思います。原典を見れば分かる通り、兎と亀は、速さのことで争った末に、競争を始めたのです

から、友情もへったくれもないのです。(起こさないのは倫理的に反するという解釈ならばあり得ると

思います)それにしても、

もう一人のインド人はこう言った---「兎は昼寝をしていたと言うが、もし兎が病

気で苦しんでいたとすれば、どうなるんだ?!・・・」

と言うのにはまいってしまいます。「兎は昼寝をした。」という話をしているのに、「もし病気で苦し

んでいたとすれば、どうなるんだ?!」などと反論するのは、小学生的屁理屈と言うしかありません。

 ところで、「昔話にはウラがある」では、朝日新聞の「天声人語」を引用して次のような話が紹介さ

れています。


 アフリカのカメルーンに住むバフト人のあいだにも、「兎と亀」の話があるそうだ。朝日新聞

「天声人語」(1993年8月17日)が紹介しているので、孫引きさせてもらう。

<さて、カメルーンの競争である。当日、早朝から亀は親類の亀たちを集めた。走る道筋に一定

の間隔で隠れていてくれと頼む。そして出走。兎はのんびり走り始めた。しばらくして『亀くん、

まだついて来るかい』と叫ぶ。驚いたことに『ええ、すぐ後ろにいますよ』と亀の声が聞こえる。

あわてて速度を上げた兎は、途中で確かめるたびに『すぐ後ろですよ』と落ち着いた声で言われ、

走りに走る。ついにゴールで倒れて死んだ。亀の勝ち>

 そして、「天声人語」は、このあとに、

<大切なものは準備、知恵、連帯・・・・・・と、教訓も多いそうだ>

 といったコメントを付け加えている。なるほど、勝つためには亀がやったように道筋に仲間の亀

を配置するといった準備、その知恵、仲間の連帯が必要である。この話は、そういう教訓話と読む

こともできる。

 だが、ひょっとしたらこのカメルーンの「兎と亀」は、イラン版がそうであったように、われわれに、

 ---競争するな! 仲良くせよ!---

 と教えているのかもしれない。わたしには、これが競争を賛美した話とはおもえないのである。



 この話は、イラン版「兎と亀」の類型と言えると思いますが、イソップ寓話の「兎と亀」の話とは全

く違いますので、同列に扱って比較などはできないのです。

「昔話にはウラがある」という本は、別に学術的な論文ではないので、そんなに目くじらをたてずとも

よいではないか? と思うかも知れませんが、しかし、こういった話は世間に受け入れられやすいよう

で、現に小学校の授業に取り入れている先生もいるくらいです。



総合学習の国際理解の分野の授業

発問1 兎と亀の話を知っていますか?どんなお話でしょう?またこの話を通して私

     たちに何を伝えたいのでしょう。

発問2 世界の中にも似たような話があるのを知っていますか?兎と亀はどんな競

     争をして、どちらが勝ったと思いますか?

指示1 みんなが想像した話を仲間わけ(分類)してみよう。

説明1 フランス・インド・イラン・カメルーンにはこんな話があるのです。(と、

    4つの国の話を紹介する)

発問3 日本の兎と亀の話とは少し違っていましたね。では、それぞれの国の教え

     (教訓)はなんだと思いますか?

発問4 日本の教訓と比べてどんなことを思いましたか・感じましたか?


これは、あるHPに載っていた、「昔話にはウラがある」を基にた授業例なのですが、きっと、この先

生は大変熱心な先生なのだと思います。しかしこの授業を通して、日本の「兎と亀」の話は、世界の話

とは違い、日本人は特異な考え方をしている。というような印象を子供たちに与えてしまったとしたら、

それは大変な誤りです。実は日本の昔話にも、イランやカメルーンと似た話があるのです。

「日本昔話通観 28 昔話タイプインデックス 稲田浩二」には、競争の話が8種類ほど掲載されて

いるのですが、その中から4例、見てみたいと思います。

注:このHPを主宰されている先生に問い合わせた所、実際の授業にはまだ使ってはいないということでした。
  イソップワールドの趣旨をご理解戴き、この引用の了解を戴きました。(1999/12/23)


545A しらみとのみの競争---脚絆型

伊勢参りに出かけたしらみとのみがかけくらべをし、しらみは旅人の脚絆にくっ付いて先に着く。


545B しらみとのみの競争---居眠り型(イソップ寓話と同型)

しらみとのみがかけくらべをし、先にとんでいったのみは途中で酒を飲んで居眠りをし、しらみ

が追い抜いて勝つ。


546 たにしと狐の競争

たにしと狐がかけくらべをし、たにしが狐の尻尾に食いつくが、狐は知らずに走る。狐があと一

歩まで来てふり返ると、たにしは尻尾からとび降り、おれはとっくに来ている、と言う。


547 狐と虎の競争 

狐と虎がかけくらべをすることになり、狐はコースに仲間を隠しておく。

虎がかけていくと、いつもその先々に狐の仲間が現れ、だまされた虎は狐に降参する。


このように、競争の話は、各国それぞれ違っているのではなく、どの国にも類話が多数存在するよう

です。 

例えば、グリム童話の、<KHM187>『兎とハリネズミ』は次のような話になっています。


兎に足の遅いのを馬鹿にされたハリネズミが、金貨とブランデーを賭けて競争しようと言い出

す。兎は承知して、すぐに競争を始めようと言うのだが、ハリネズミは家で腹ごしらえしてか

ら競争しようと言って、いったん家へと帰り、姿形のそっくりなハリネズミの奥さんを連れだ

し、ゴールで隠れていてもらう。レースが始まり、兎がゴールへ着く寸前に、ハリネズミの奥

さんが「もう来てるぞ」とどなる。兎はもう一度やろうと言って、スタート地点へ向かって走

り出すと、スタート地点で待っていた、ハリネズミの旦那に「もう来てるぞ」とどなられる。

兎は、何度も挑戦するが、その度に負け、74度目には、最後まで駆け通すことが出来ずに、

途中でへたり込んで喉から血を吐きその場を動けなくなった。


「完訳グリム童話集 金田鬼一訳 岩波文庫」の解説によると、足の速い動物と足のおそい動物とが競

争をして、足の遅い者が勝つという話には、


(1)堅忍不抜の亀が、だらしのない兎に勝つ、

(2)わるぢえのあるはりねずみが、自分の同類の援助によって、鹿に勝つ、

(3)ずるい蟹が、しられないように相手の狐のしっぽにぶらさがって、狐に勝つ、


と、いう三つの典型があるそうです。そして、第二型は、ラテン語で書かれた13世紀のハリネズミの

かけくらべの詩が最古の作品と言われているそうですが、これは、ペリー版のイソップ寓話集に収めら

れていますのでこれを見てみたいと思います。


ペリー649 シカとハリネズミとイノシシ

 シカとハリネズミが手を組んで、畑に穀物の種を播いた。しかし、作物が稔ると、

野生の動物が作物を荒らしはじめた。そこで、シカとハリネズミは、くじ引きで、一

方が、畑の見張り番をすることにした。見張り役はシカと決まった。ところが、シカ

は、他の動物が作物を盗むのに、一緒に加わった。ハリネズミはこれに気づき、シカ

に憤然と抗議した。そして自分が監視役をすると申し出て、シカもこれに同意した。

 ハリネズミは大変真面目に監視役を勤め、たくさんの作物を保守して蓄えた。しか

し、収穫物を分配する段になって、両者は意見の一致が得られず、永遠と口論が続い

た。3日目に、シカはイノシシを連れてきた。イノシシは、両者が自分の判定に従う

ならば、この争いに決着をつけてやると言った。両者はこれに同意した。すると、イ

ノシシは、畑の作物は、徒競走で勝った者が全てを所有すると決定した。この裁定を

聞くと、ハリネズミは仰天して激しく抗議した。

「おお、なんてことだ! そんな裁決があってたまるか! シカの方が断然速いに決

まっている、私が勝利りするなど、自然の摂理に反している」

 ハリネズミはうなだれて家に帰った。妻は夫の身にどんな危難が降りかかったかを

知ると、彼が競争に勝つ方策を考え出した。

「私たちは大変よく似ています」彼女はそう言った、「ですから、誰も私たちの見分

けがつきません。まず、スタート地点に立つのはあなたです。私はゴール付近にいま

す。そして、シカが私に近づいて来たら、私はシカよりも先にゴールへ駆け込みます。

そして勝利を得るのです」

このようにして、ハリネズミは競争に勝ち畑の権利も手に入れた。


この話では、どうやら、シカとイノシシが組んで、ハリネズミをペテンにかけようとしているようです

が、このように、悪者二人がヒツジをペテンにかけようとする話が、紀元1世紀の前半頃の、パエドル

スの作品にあります。


タウンゼント178.シカとオオカミとヒツジ

 シカがヒツジに、オオカミを保証人に立てるから小麦を貸してくれと頼んだ。

 するとヒツジはこう答えた。

「オオカミさんは、自分の欲しいものと見れば、襲いかかってとんずらするのがいつもの手だし、

あなただって、足が速いので、私などあっという間に置いてけぼり。支払日になって、あなた方

をどうやって見つければよいのですか?」

悪人二人が力を合わせて、善いことなどするはずがない。

Pe477 Ph1.16 Cax2.11 TMI.J1383 (Ph)


 ここでもシカは悪役として登場しているのですが、イソップ寓話には、シカが悪役として登場する話

がもう一つだけあります。そしてこれも駆け足に関係ある話です。


タウンゼント193.ウマとシカ

 昔、ウマは草原で自由に暮らしていた。そこへシカがやってきて、ウマの草をぶんどった。ウ

マは、このよそ者に仕返ししてやろうと、人間に協力を求めた。すると人間は、ウマがくつわを

つけて、自分を乗せてくれるなら、シカをやっつける武器を考案してやると言った。

 ウマは承知して、人間を乗せ、見事シカへの復讐を果たした。しかしその代償として、ウマは

人間の奴隷となってしまった。

Pe269a<269> Cha328 H175 Ph4.4 BaP166 Cax4.9 Hou32 Laf4.13 狐ラインケ3.8 TMI.K192
(アリストテレス「弁論述」1393b13)


実はこの話は、アリストテレスの「弁論述」に、Stesichorus が語った話として載っているもので、

パエドルスやバブリオスやフウグスブルク校訂本系の写本などは、悪役はシカではなくイノシシ

となっています。

注: この部分を下記のように誤っていました。

実はこの話は、アリストテレスの「弁論述」に、イソップが語った話として載っているもので、パエド
ルスやバブリオスやアウグスブルク校訂本系の写本などでは、悪役はシカではなくイノシシとなっており
ますから、本来のイソップ寓話でも、イノシシとなっていたものと思われます。

「弁論述」にイソップが語ったとして出てくる話は、Stesichorus の話の次に出てくる、「狐と針鼠」の話です。

参考サイト Aristotle's Rhetoric Boo II Chapter 20  リンク切れ訂正 2001/6/14

週間朝日百科 世界の文学 51 ギリシャ神話 イソップ寓話 西村賀子 参照


次に、第三型の、しられないように相手のしっぽにぶらさがって、相手に勝つ。という、話の類型を

見てみたいと思います。

 

グリム童話<KHM20> いさましいちびっこのしたてやさん

前省略

 大入道は、ちびっこのおやかたを、ばかばかしく大きなかしわの木が地面にたおれているところへつ

れて行って、「きさまがそんな力もちなら、おれに手をかして、この木を森の外へかつぎだしてくれ」と

言いました。

「ああ、いいとも」と、ちびが返事をしました、「かまわないから、貴公は、この幹をかついでくれ。

おれはな、大枝を小えだぐるみにもちゃげて、ひっかつぐから。こいつは、いちばんの骨のおれる仕事

だわい」

 大入道は幹をかつぎました。すると、したてやさんは、いいかげんな大枝へちょこんと腰をかけまし

た。

大入道はふりむくことができないので、否おうなしに大木をまるごとかついだうえ、もう一つおまけ

に、ちびっこのしたてやさんまでかつがされたことになりました。

 ところが、うしろのほうは、上きげん大浮かれで、木をかつぐことなんか子どもの遊びごとでもある

ように、「したてやさんが三人そーろって、お馬で町からでーました」という小唄を口ぶえで吹いてい

ました。

 大入道は重荷をひきずってだいぶあるきましたが、もう足がすすまなくなって、

「いいかあ! 木をおっことすぞう」と、どなりました。

 したてやさんは、身がるにとびおりると、今までずうっとかついでいたような顔をして、両腕で木を

かかえました。そうして、大入道にむかって、

「でかいずうたいをしとるくせに、貴公は、木もかつげないんだなあ」と言いました。

以下省略


この話は、駆け足の競争ではありませんが、話の構造は第三型と同じであると言えると思います。

 余談なのですが、このグリム童話は、起源はインドのようです。この話の粗筋は、ちびっこのしたて

やさんが、パンのジャムにたかった7匹の蝿を叩き殺して、「ひとうちで七匹」と書いた帯をつけ、自

分の武勇を自慢して歩き、王の家来となり、大入道や一角獣や猪を運よく退治して、お姫様と結婚する

という話なのですが、南方熊楠の「十二支考・虎に関する史実と伝説民俗」に、次のような話が載って

いるのです。


 仏教国に虎を入れた滑稽談も数ある、その内一つ出そう。クラウストンの『俗話小説の移化』一に引

いたカシュミル国の譚に織工ファッツ一日杼を一たび投げて蚊七疋殺し武芸無双と誇って、杼と手荷物

と餅一つつんだ手巾を持って武者修行に出で、ある都に到ると大悪象が日々一人ずつ食う、勇士出征す

るも皆生き還るを得ぬ、ファッツ聴きて我一たび杼を投げて七つの蚊を平らげた腕前で、この象一疋た

おすは児戯に等しと合点し、単身往きてかの象を誅せんと国王に申し出た、王これは狂人だろうと思う

て制すれど聞き入れぬから、しからば勝手にせよと勅命あり、象出で来るに及びかの小男槍か弓矢を帯

びよと人々の勧めをしりぞけ、年来試し置いた杼の腕前を静かに見よと広言吐いて立ち向う、都下の人

民皆城壁に登りてこれを見る、いよいよ悪象ファッツに走り懸ると彼奴今吐いた広言を忘れ精神散乱し

て杼も餅も落し命辛々逃げ走る、その餅原来尋常の餅でなく、ファッツの妻が夫の介性なさに飽き果て

情願どうぞ道中でコロリと参って再び生きて還らぬようと、餅に大毒を入れそれと勘付かれぬよう夥し

く香料と砂糖を和して渡したやつだが、今象がファッツを追うて走る途上、餅の香りが余り高いのでち

ょっと嘗め試みると至って甘いから何の考えもなくひとのみにやらかしながらファッツに追い付いた、

ファッツ今は詮術尽きやけくそになって取って還し一生懸命象に武者ぶり懸るとたん、ちょうど毒が廻

って大象が倒れた、定めて小男は圧し潰されただろうと思うて一同城壁を下りて往き見ると、ファッツ

平気で象のしかばねにのっており、おちつき払ってちょっと突いたらこの通り象はからだが大きいが造

作もなく殺さるるものをと言う、国王叡感斜めならず、即時彼を元帥と為された、時に暴虎ありて国中

を悩ますので王元帥に命じ討ち平らげしむ、ファッツ虎を見て魂身に添わず、樹上に逃げ上るとこの虎

極めて気長くその下で七日まで待ち通した、八日目にくたびれて虎も昼寝するを見澄まし、ファッツそ

ろそろ下りる音に眼をさまして飛び懸る、この時おそしかの時早くファッツがふるえて落した懐剣が虎

の口に入って虎を殺した、怪我の高名と心付かぬ王は武勇なる者まさに絶美の女に配すべしとて、艶色

桃花のごとき妙齢の姫君を由緒しれずのかの小男の妻に賜ったという。


 クラウストンの話では、蝿ではなく「蚊を7匹」となっておりますが、恐らくこちらがオリジナルに

近いのだと思います。この本は現在でも版を重ねています。

Popular tales and fictions : their migrations and transformations / by W.A. Clouston.

 更にこのインドの話は、日本の昔話にも取り入れられているようです。


昔話インデックス1143 運のよいにわか武士

 若者が、行き倒れの武士の衣装に着替えて宿に泊まり、夜なかに弓にさわっていると矢が飛び出す。

矢は長者の家に忍びこもうとする盗賊に当たり、若者は長者の婿に迎えられる。

 若者は殿様に、荒馬を乗りこなせ、と命じられ、馬にしがみついて泣きながらいくと、人々は、鼻歌

まじりに行く、とほめたたえる。

 若者が殿様に山賊退治を命じられると、若者を嫌う妻が、夫に毒入りの酒と弁当を持たせる。

梢に隠れた若者が、ふるえて酒と弁当を落とすと、山賊たちはそれを飲み食いしてことごとく死に、若

者は武勇を認められる。


 ここでは、「ひとうちで7匹」というような前口上は、見られないのですが、インドの説話の類話で

あるのは間違いないと思います。一見、グリム童話とは関係のないような日本の昔話が、実は、インドの

説話から出た、兄弟だったようです。

 南方熊楠の「十二支考」は、イソップ寓話関係の話がたくさん出て来ます。このことについては、い

つかじっくりと調べてみたいのですが、今回は、「十二支考 兎に関する民俗と伝説」について、2.3

見てみたいと思います。この本の中で熊楠は、

『イソップ物語』に鷲に子をくわれ熱兎、樹を根抜きに転覆し鷲の巣中の子供を殺した話見え、

注:熊楠は、熟兎(なんきん)英語のRabbitと、野兎Hareとを区別している。

と述べているのですが、一般的なイソップ寓話には、このような話は見あたりません。これに近いもの

としては次のようなものがあります。


タウンゼント181.ワシとネコとイノシシ

 そびえ立つ樫の木のてっぺんに、ワシが巣をつくった。ネコが、その木の中間に、ほどよい穴

を見つけて引っ越して来た。そして、イノシシが木の根元の穴にに子供と共に住まわった。

 ネコは、このたまたま知り合った者たちを、出し抜いてやろうと悪賢いことを考えた。まず彼

女は、ワシの巣へと登って行ってこんな風に言った。

「大変です。あなたと私の身に危険が迫っているのです。あなたもご存じのように、あのイノシ

シは、毎日地面を掘り返していますが、あれは、この樫の木を根っこから倒してしまおうと目論

んでいるのです。そして、我々の家族が落っこちたら、捕まえて子供の餌食にしようとしている

のです」

 ネコは、このように、ワシに恐怖を吹き込んで、彼女を恐慌状態に陥れると、今度は、イノシ

シの許へそおっと下りて行き、そしてこんなことを言った。

「お子さんたちに、大変な危機が迫っています。ワシの奴は、あなたが、子供たちと穴から出よ

うとするところを狙っているのです、あなたたちが餌を探しに穴から出たら、すぐさま一匹さら

ってしまおうと目論んでいるのです」

 ネコはこのように、イノシシにも恐怖を吹き込むと、自分の穴に籠もって身を隠すふりをした。

夜になると彼女は、そおっと出掛けて行き、自分と子供たちのために餌を捕った。しかし、昼間

は、一日中外を見張り続けて、恐怖に駆られているふりをした。

 一方、ワシはイノシシが木を倒すのではないかと恐れ、尚も枝に止まり、……イノシシはワシ

に怯え、決して巣穴から出て行こうとはしなかった。

 こうして、ワシとイノシシの家族は、飢えて死に、ネコとその子供たちの、豊かな栄養となっ

た。

Pe488 Ph2.4 Laf3.6 TMI.K2131.1 (Ph)


ペリー3(シャンブリ4) 鷲とセンチコガネ

 鷲が兎を追っていた。兎に助けてくれる者とてなかったが、ただひとつ、センチコガネを見つ

けたのを幸いに、これに救いを求めた。センチコガネは兎を励まし、鷲が近づいてくるのを見る

と、救いを求めて来た者を連れ去ってくれるな、と頼んだ。それなのに鷲は、センチコガネの小

さいのを侮って、目の前で兎を平らげてしまった。

 それ以来、センチコガネは恨みを忘れず、鷲の巣を見張り続けて、鷲が卵を生もうものなら、

飛んで行って、卵を落として割ってやった。どこへ行っても追い出されるので、とうとう鷲は、

ゼウスの所へ逃げ込んで、安全な巣造りの場所をお願いした。鷲はゼウスの使いのわし婢であっ

たのだ。

 ゼウスは自分の懐で卵を生むことを鷲に許したが、それを見ていたセンチコガネ、糞団子を作

るなり飛びたって、ゼウスの懐の真上に来ると、ポトリと落とした。ゼウスは糞を振り払おうと

立ち上がったとたん、うっかり卵を放り出してしまった。以下省略

(ペリー版 イソップ寓話集 中務哲郎訳 岩波文庫)


タウンゼント253.ワシとキツネ

 ワシとキツネが友情を誓い合いそれぞれ近くに住むことにした。ワシは高い木の枝に巣を作り、

キツネは藪の中で子どもを生んだ。しかし、この同盟が結ばれて、いくらもたたないうちに、ワ

シは自分の子どもたちにやる餌が必要になると、キツネが出掛けている隙に、キツネの子どもに

襲いかかり、一匹捕まえて雛と一緒に食べてしまった。キツネは帰ってきて、事の次第を悟った

が……、キツネは、子どもを失ったこと以上に、彼らに復讐できないことを悲しんだ。ところが、

それからまもなく、ワシに天罰が下った。ワシは神殿の近くを舞っていたのだが、そこでは、村

人たちがヤギを生贄に捧げていた。と、ワシは、肉片と一緒に燃えさしをもひっつかんで巣へと

運んで行った。一陣の風が吹くと、瞬く間に炎が燃え上がった。まだ飛ぶことも何も出来ないワ

シの雛たちは、巣の中で燻されて、木の根元へ、どさっと落っこちた。キツネは、ワシの見てい

る前で、雛たちをがつがつ食い尽くした。

Pe1 Cha3 H5 Ph1.28 BaP186 Cax1.13 伊曽保2.19 Charles59 TMI.K2295,L315.3 (Aesop)


 この他、クルイロフ寓話集3.21『鷲とモグラ』に、つがいの鷲が、高い樫の木に巣を作ろうとする

と、モグラがこの木は根本が腐っているので、倒れるかも知れないと忠告するのだが、鷲たちはその忠

告を聞き入れず、そこに巣を作ってしまう。その後何事もなく、雌鷲には子供ができ幸せな生活を送っ

ていたのだが、ある日、雄鷲が猟を終えて巣に帰って来ると、雌鷲と子供たちは樫の木に押しつぶされ

ている。というような話があります。

 恐らく、熊楠が「鷲に子をくわれ熱兎、樹を根抜きに転覆し鷲の巣中の子供を殺した話見え」と述べ

ている話は、これらの話の変容したものと思われるのですが、熊楠の言っている話を知っているという

方は、是非お教え下さい。

 この後、熊楠は、パンチャタントラ1.8『獅子と兎』と、3.1『象と賢い兎』の話に触れてから、

・・・・・かく狡智に富む故、兎を神とした人民少なからず。

と、述べています。この熊楠の影響によるものか、カチカチ山などの例をひいて、兎の性格は、意地悪

で豪胆である。などと言われることがあるのですが、これは、民話や昔話のことであって、イソップ寓

話には、当てはまりません。例えば、タウンゼントは次のように述べています。


 動物や想像上のキャラクターが用いられるている場合、それらに備わっている特徴や、広く世間の共

通の認識となっている属性に留意すべきである。キツネはいつも狡く、兎は臆病で、ライオンは豪胆

で、オオカミは残忍で、牡牛は強く、馬は高慢で、驢馬は忍耐強い。これらの特徴は、多くの寓話で、

厳密に守られている。


 実際に、兎に関する寓話をみてみますと、ほとんど全て「兎は臆病者である」という前提の下に書か

れています。兎に関する寓話17話参照

 つまり、イソップ寓話としては、熊楠が例にあげた、「兎が鷲をやっつける」というような話は、あ

まり考えられないのです。

 ところで、タウンゼント253『鷲と狐』の話なのですが、これには、次のような話もあります。


Ernest Griset 78(パエドルス1.28) 鷲と狐

 鷲が、雛たちに食べさせる餌を捜していると、狐の子が日向ぼっこをしているのを見つけた。彼女は

急襲して、狐の子を奪い去って行こうとした。すると、母狐がやって来て、愛しい我が子のために、涙

を流し、たった一人の子供を返してくれるようにと懇願した。しかし、鷲は、自分の巣が高い木の上に

あるので、狐の願いなど聞く耳も持たず、雛たちのために狐の子を運んで行った。

 鷲が狐の子を引き裂いて雛たちに分け与えようとすると、狐は復讐に燃えて、ある国の人たちが近く

の野原でヤギを生贄に捧げている所へと走って行き、祭壇から燃えさしをひっ掴むと、鷲の巣のある木

へとって返した。

 鷲は、自分たちを破滅させようと狐がやって来るのを見て、怖れおののき、自ら進んで狐の子を無傷

のまま返した。


 タウンゼントの253と比較してみますと、出だしや結末が随分と違うのですが、これは、パエドルスに

よる翻案と思われます。この他、シュタインヘーヴェル版やカクストン版は、パエドルス系統と同じな

のですが、17世紀に日本で出版された伊曽保物語は、ちょっと違います。


伊曽保物語 中 十九 きつねとわしの事

 ある時、わし我子のえじきとなさんがため、狐の子をうばひとつて、とびさりぬ。きつね、天にあふ

ぎ、地にふして、なげきかなしむといへども、そのかひなし。きつね、心に思ふやう、「いかさまに

も、たかのあたには、煙にしく事なし」とて、柴といふ物を、わしのすのもとにあつめて、火をなんつけ

ければ、鷲の子、ほのをのうちにかなしむありさま、誠にあはれにみえける。その時、鷲千たびかなし

め共、かひなし。つゐにやきおとされて、たちまち、きつねのために其の子をくらはる。そのごとく、

当座、我かつてなればとて、しもざまのものに、あたをなしをく事なかれ。人の思ひのつもりぬれば、

つゐには、いづくにかのがるべき。たかき堤も、ありのあなよりくづれはじむるとなん、いひける。


 ここでは、ストーリー的には、パエドルス系の話なのですが、結末は、原典系と同じように、鷲の子

は狐に食われて、狐の子も返ってきません。

 かなり話が脇道にそれてしまったのですが、(3)の「しられないように相手のしっぽにぶらさがって、

相手に勝つ」と言う話をもう少し見てみたいと思います。


ペリー434 鷲に乗った鷦鷯(ミソサザイ)

 イソップの鷦鷯は鷲の肩に運ばれていたが、突如飛びおりて、先にゴールを切った。
                
(ペリー版 イソップ寓話集 中務哲郎訳 岩波文庫)


グリム童話<KHM171>みそさざい

前略(鳥たちは会議を開き、一番高く飛べた者を王様にすることに決める)

 小さい鳥たちは、たちまちおくれて、もう飛べなくなり、もとの地面へ落ちてきました。いちばん大

きいのはそれよりも永つづきしたけれど、どれ一羽、鷲と肩をならべるものはありません。鷲は、おて

んとうさまの目だまをほじくりだすことができそうな高さまでのぼりました。そしてほかの鳥が一羽も

じぶんのところまであがってこられないのを見て、

「これ以上高くとばなくてもいい、なんといっても、おれが王さまだ」とかんがえて、下へおりはじめま

した。

 下にいた鳥どもは、鷲にむかって、口をそろえて、

「おぬしがみんなの王さまにきまったぞう、おぬしよりも高くとんだものはいない」と、わいわい言うの

をきいて、

 「おいらのほかにはなあ」とわめいた、名もついてない、ちいっぽけなやつがありました。これは、鷲

の胸毛のなかにかくれていたので、ちっともつかれていないものですから、上のほうへまいあがって、神

さまがお椅子に腰かけていらっしゃるのが見えるくらいのところまでのぼりました。それから、そんなと

こまで行ってから、はねをたたんで、下へ落ちてきて、下へくると、もちまえのつきとおるような、かん

だかな声をはりあげて、

 「王さまは、おいらだぞ! 王さまは、おいらだぞう!」と、どなったものです。

以下省略

(完訳グリム童話集 金田鬼一訳 岩波文庫 参照)


クルイロフ寓話集3.18 鷲と蜘蛛

 一羽の鷲が雲を突き破って、コーカサス山脈の頂上に舞い上がった。頂上の樹齢百年の杉の木に止ま

って、眼下に見える雄大な景観に見とれていた。そこからは地の果てまでみえるような気がした。あち

らでは川が曲がりくねって大草原を流れ、こちらでは林や草原に花が咲き乱れ、万物が春の装いを凝ら

していた。またあちらには、波立ちさわぐカスピ海が鴉の羽のように遠くに黒ずんで見えた。

「世界を統治するにあたって、わたしにこのような飛翔力をあたえて下さったゼウスに栄光あれ。おか

げで、わたしは近よりがたい高さというものを知らないのです。だからこそ、だれも舞い上がることの

できない高みから世界の美景を眺められるのです」と鷲はジュピターに呼びかける。そのとき蜘蛛が木

の枝から鷲に答える。

「見たところ、おまえさんは大したほら吹きだね! ここにいるわたしがおまえさんより低いところに

いるとでも言うのかね?」

 鷲が見ると、なるほど一匹の蜘蛛が、自分の真上で網を張りめぐらして、木の枝の上で忙しく働いて

いる。

どうやらすき間なく網を張って、太陽を鷲の目から隠そうとしているらしい。

「おまえはどうしてこんな高いところに上がって来られたんだ?」と鷲が尋ねた。「高いところを飛べ

る者でも、だれもがここまでやって来られるとはかぎらないよ。それにおまえは羽もなく、弱々しい。

ほんとうにお前は這い上がって来たのか?」

「いや、わたしにはそんな決心はつかなかっただろう。」

「いったい、どうやっておまえはここに来たんだ?」

「それがね、わたしはおまえさんにくっついていたんだ。するとおまえさんが尻尾に乗せて下から運ん

でくれたのさ。でも、おまえさんがいなくてもここで何とかやっていけるよ。だから、わたしの前で威

張らないでほしいね。それにわたしは・・・・・・」 

 そのとき突然つむじ風がまき起こり、ふたたび蜘蛛を下界へ吹き飛ばしてしまった。

 知恵もなく、努力もしないで、お偉方の尻尾につかまって、やっとのことでのし上がり、まるで鷲の

力を神が自分に授けてくれたかのように威張りくさっている手合いが、あなたはどう思われるかはしら

ないが、わたしにはこういう蜘蛛によく似ているように思えることがよくある。蜘蛛もろとも彼らを吹

き飛ばすには、風ひと吹きすればいいのだ。 (完訳クルイロフ寓話集 内海周平訳 岩波文庫)



 最初の『鷲に乗った鷦鷯』を発展させると、グリム童話やクルイロフ寓話になりそうです。ところで、

現実に蜘蛛は空を飛ぶそうです。春先、蜘蛛は、お尻から糸をたなびかせて、上昇気流に乗って舞い上が

り、ジェット気流に乗ってかなり遠くまで飛んで行くそうです。


カクストン4.16 ラクダとノミ

 力のない者は何事も自慢してはならない、作者が私たちに語る次の寓話のように。

 ラクダが大きな荷物を背負っていた。たまたまノミが一匹、ラクダの毛を求めてその背中へ飛び乗っ

た。そして一日中自分をラクダに運ばせた。彼らは長い道のりを歩き、夕方宿に着いた。そしてラクダ

が畜舎に入れられると、ノミはラクダの背から足元の地面に飛び降りた。それからラクダに言った。

「おまえさんがかわいそうだと思ったから、背中から降りてやったんだ。私を運ばせて、これ以上おま

えさんを苦しめたくないからね」するとラクダはノミに答えた。「ありがとうよ。もっともおまえを背

負ったところで痛くも何ともないがね」

 それゆえ、毒にも薬にもならない者を尊敬する必要はないのである。

(キャクストン版 イソップ寓話集 伊藤正義訳 岩波ブックセンター)


この話は、何となく、牛と鼠の干支の話を連想させるのですが、この話のイソップ寓話の原型は次のよ

うな話です。


タウンゼント261.蚊と牡ウシ

 蚊が牡ウシの角にとまり、そこに長いこと居座っていたのだが、飛び去ろうと羽音を立てると、

重いだろうからどいてやるよと言った。

 すると牡ウシがこう答えた。

「君が来たのも分からなかったのだから、君が行ってしまっても、別段なんとも思わないがね」

人からはそれほどとは、思われてないのに、自分では大人物だと思っている者がいるものだ。

Pe137 Cha189 H235 PhP Ba84 Cax4.16 Charles25 Panca1.123 TMI.J953.10 (Aesop)(Ba)


小堀桂一郎氏によれば、このイソップ寓話は、更に紀元前八世紀頃にまで、遡ることができるそうで

す。


 ブヨが象の背中にとまっていて、やがて飛び立って言いました。「おい君、俺がいて重たかったか

ね。そんならここをどいて、あちらの池の向こう側に行ってやろうか。」象がブヨに言いました。「お

前がわしの上にとまっていたのは気がつかなかったよ。お前はいったい誰だね。お前がわしからどいてく

れたって、そのどいたことすら知らなかったんだよ。」


 この話は、バビロニアで、紀元前八世紀に、より古い原本(前2000年とも言われるそうです)か

ら転写されたものだそうです。(イソップ寓話 その伝承と変容 中公新書)

 更に、時代が下がって紀元1〜6世紀頃に成立したと言われるインドのパンチャタントラにも、次の

ような話があります。


パンチャタントラ1.123

象は異常な力をもちながら、頬のあたりににじむマダの液に酔い痴れてさまよう蜂の足の裏に打たれて

も、怒りはしない、力あるものは力の均しいものに怒りを発する。

注:マダとは、象の発情期にこめかみに出る液。

(アジアの民話12 パンチャタントラ 田中於莵弥・上村勝彦訳 大日本絵画)


 また、話が脇道に逸れてしまいましたが、次に、競争の類話がどのように発生したのか考えてみたい

と思います。もう一度確認のために、金田氏の示した競争の類話を見て見たいと思います。


(1)堅忍不抜の亀が、だらしのない兎に勝つ、

(2)わるぢえのあるはりねずみが、自分の同類の援助によって、鹿に勝つ、

(3)ずるい蟹が、しられないように相手の狐のしっぽにぶらさがって、狐に勝つ、


 これらの三つの型は、足の速い者と遅い者との競争の話ではありますが、(1)の話は、足の速い兎が自

らの怠慢により負けるという話であり、(2)(3)は、足の遅い者が、ズルをしてレースに勝つというよう

な話です。つまり、(1)と「(2)(3)」は、同じ競争の話であっても、かなり違っているのです。

(1)の話は、「いくら足が速くても、油断や慢心があれば負けることもある」というような教訓話を作ろ

うというコンセプトが無ければ生み出され得ない話のように思われます。

しかし、(2)(3)の場合、「競争にズルして勝つ話」ですから、ここには教訓話を作ろうというようなコ

ンセプトが必要であるとはあまり思えません。

例えば、「キャノンボール」という映画は、アメリカ大陸を自動車で横断してレースをするという、馬

鹿馬鹿しく楽しい映画なのですが・・・・・・このレースの参加者の一人が、自分の車を飛行機に積み込み、先

に目的地で待っているというズルをします。

結局それはバレてしまうのですが・・・・、これは、(3)の話の類型であり、日本の昔話の、545A『しらみと

のみの競争---脚絆型』と全く同じ構造になっています。

また、「ドクタースランプ」という漫画には次のような話があります。


Dr.スランプ 第8巻 ペンギン・グラムプリ

ペンギン村で、村を一周するという自動車レースがあるのだが、「みどり先生」と「あかねちゃん」が

結託し、あかねちゃんが、みどり先生に変装して先に走りだす。一方、みどり先生はコースの先で待っ

ている。そして両者ともに無線でやりとりし、タイミングを見計らって、みどり先生が途中からズルし

て走り出す。

(Dr.スランプ 鳥山明 集英社)


これは、(2)の型であり、イランの話や日本の昔話の547『狐と虎の競争』と同じ構造になっています。

このキャノンボールやドクタースランプのモチーフは、イソップ寓話の「兎と亀」の類話と考えるより

も、「レースのズル話」という別な類型と考えたほうが自然ではないでしょうか。

更に、南アフリカのマラソン大会では、実際に次のようなことがあったそうです。


1999年7月27日火曜日 朝日新聞 19面スポーツ欄

金に困った南アフリカの青年、マラソンの途中で、替え玉をつかって九位になり賞金約11万円を獲得

していた。

AP電、6月中旬南アフリカで行われたカムラッズ・マラソン、移動式トイレで待ちかまえていた、う

り二つの弟と身につけていたものを交換し、弟が走り出した。

コースを離れた兄は先回りし、再び弟と入れ替わってコースに戻りゴールした。


これは、地元紙に証拠写真を撮られていて、バレたそうです。腕時計が逆さであったり、右足の向こう

ずねの傷跡が違っていたそうです。

正にこれは、(2)の型に属します。人間は、昔も今も考えることはあまり変わらないようです。

 さて、今まで、兎が負ける話ばかり見てきたので、最後に兎が勝つ話を見てみたいと思います。


タウンゼント155.ウサギと猟犬

 ある猟犬が、ウサギを巣穴から狩りだした。しかし長いこと追いかけたが、結局、追いかけ

るのを諦めた。それを見ていたヤギたちが、イヌをあざ笑って言った。

「あんたより、チビ助の方が速いとはね……」

 すると、イヌはこう言い返した。

「私は夕食の為に走っているだけだが、ウサギの方は、命をかけて走っているのだ」

Pe331 H238 Ba69 Charles85 TMI.U242 (Ba)


ペリー616 狼と戦う兎

 狼と兎が道でかちあった。すると狼がこう言った。

「お前は、心配性の臆病者だ。お前は、今までに勇気を出して他の動物と戦ったことがないだ

ろう?」

 すると兎が答えた。

「そんなことはありません。あなたとだって戦ってみせますよ。あなたがいくら大きくとも、

負けたりしませんよ」

 すると狼は憤然と言い返した。

「では賭けをしよう。もしお前が勝ったら、金貨一枚に対して10枚払うことにする。どうせ

俺が勝つに決まっているからな!」

 すると兎が言った。

「この賭けが保証されるならば、この取り決めに同意します」

 彼らは互いに誓い合うと、両者ともに戦闘配置についた。

 狼が兎をとっ捕まえて貪り食おうと、一直線に突っ走った。しかし、兎は突然逃げだした。力

が頼みの狼は、兎を追いかけた。しかし、兎はもの凄いスピードで走り続けた。

 狼はもやは消耗しきって、兎を追うのを諦めた。そして、地面に身を投げた。彼はもう一歩た

りとて走ることが出来なかったのだ。

 すると兎が狼に言った。

「あなたの負けです。こうして地面に伏しているのですからね」

 すると狼が言った。

「すると、お前が勝ったとでもいうのか?」

「その通りです」兎が言った。「大体、あなたは私よりも三倍も大きいのに、まともに戦うことが

できると思うのですか? あなたは大口を開けて、私の頭を噛み切るかもしれないのですから、私

は足で勝負する以外・・・・逃げる以外、どんな戦いができるというのですか? 私はこの戦術で、犬

たちと戦い……そして勝利するのです。そして、あなたは、戦いに破れたのですから、賭けたお金

を払って下さい」

 こうして兎は戦いに決着をつけた。そしてライオンは、狼が負けたと宣言した。


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