イソップ寓話と「毛利元就の三本の矢」の話



タウンゼント6.父親とその息子たち

 その男には、息子が大勢いたのだが、兄弟喧嘩が絶えず、いつもいがみ合ってばかりいて、父

親が止めても、喧嘩をやめないというありさまだった。
 
 この期に及んで、父親は、内輪もめが如何に愚かなことであるかを、教え諭さなければならぬ

と痛感した。
 
 頃合いを見計らって、男は息子たちに、薪の束を持ってくるようにと言いつけた。息子たちが

薪の束を持って来ると、男は、一人一人にその束を手渡し、そして、それを折るようにとにと命

じた。
 
 息子たちは、懸命に力を振り絞ってみたが、薪の束はびくともしなかった。そこで、男は、束

をほどくと、今度は、一本一本バラバラにして、息子たちに手渡した。すると息子たちは、たや

すく薪を折った。
 
 そこで、彼は息子たちに、こんなことを語って聞かせた。

「よいか、息子たちよ。もしお前たちが、心一つに団結し、互いに助け合うならば、この薪の束

のように、どんな敵にもびくともしない。しかし、互いがバラバラだったなら、この棒きれのよ

うに、簡単にへし折られてしまうのだ。」

Pe53 Cha86 H103 Ba47 イソポ2.31 Hou72 Charles68 Laf4.18 TMI.J1021 (Aesop)



さて、皆さんは、この話をどこかで聞いたことがないでしょうか? そうです。NHKの大河ドラマにもなった、

毛利元就の「三本の矢」の話に大変よく似ているのです。 今回は、この、「三本の矢」の話と、イソップ

寓話の共通点について考えてみたいと思います。


毛利元就が生きた時代と、イエズス会が日本で、布教を始めた時期とが、重なるた

め、毛利元就の「三本の矢」の話も、イエズス会宣教師によりもたらされたイソッ

プ寓話からの翻案である可能性が考えられます。

また、元就は、天主教に寛大であったという事実も、更にこの説を補強する材料に

なるかも知れません。

しかし、この寓話、宣教師の日本語学習用テキストである、『イソポのハブラス』に

は、収められているのですが、広く世間に流布した、『伊曽保物語』の方には、収め

られていないのです。

しかも、イエズス会が日本にやって来る前に、中国の魏書に収められている、「矢折

りの話」が、既にに日本に伝わっていたのです。

実はこの「矢折りの話」は、世界中に散在し、どれがオリジナルか? というの

は、はっきりとは分かっていません。

また、南方熊楠などは、世界各地で似たような話が独自に発生したと考えても何

ら不思議ではないと主張しています。

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