『童話ってホントは残酷』 二見書房 千葉大学教授 三浦佑之監修 

構成/株式会社G.B. 
文/桜井信子 G.B.(瀬戸環 高野亜伊) 
表紙・本文イラスト/金元安民
本文デザイン/佐藤栄展
 

この本の概要は、次の「はじめに」をご覧頂ければ大体分かると思います。
 

はじめに−−−−−有名な童話の原典に秘められた残酷性
 

千葉大学教授 三浦佑之

 口から耳へと語り継がれてきた昔話には、いつもほのぼのとして暖かな世界が描かれて

いると思っていませんか。それも間違いではありませんが、人びとのあいだで昔から語り

継がれてきたお話は、けっして子ども向けの楽しい話ばかりではありませんし、そこには

やさしくて親切な人間だけが登場するわけでもありません。
 
  というより、意地悪で欲張りな登場人物のほうがリアリティがあって、聞く者をわくわ

くさせます。それは、現実離れしたやさしいお爺さんよりも意地悪爺さんのほうが、彼ら

の生きてきた社会の現実や人間関係をリアルに浮き上がらせてくれるからです。
 
  この本には西洋と日本を代表する、ちょっと残酷な昔話が三八話集められています。絵

本や童話集で昔話に親しんで来られた方のなかには「えッ」と驚かれるような内容の話も

含まれているでしょうが、これが人びとに語られてきた昔話のほんとうの姿なのです。
 
 だからといって、昔の人は残酷だったなどとは、けっして考えないでください。残酷な

話を楽しむのはいつの時代も変わりありませんし、もし、彼らが残酷だというなら、私たちの

社会はどうなのでしょう。現代ほど残酷な時代はないかもしれません。


さて、この、西洋と日本を代表する、ちょっと残酷な昔話38話の中に、イソップ寓話も含まれている

のですが、そのイソップ寓話とは、「ヒツジ飼いの少年とオオカミ」「アリとキリギリス」「オオカミと子ヒ

ツジ」の3話です。

このうち、「アリとキリギリス」「オオカミと子ヒツジ」は、原典通りだったのですが、

「ヒツジ飼いの少年とオオカミ」は、明らかに結末を捏造しているのです。


ヒツジ飼いの少年とオオカミ  最初で最後の本当
                         (イソップ童話より)

嘘つき少年の悲劇

 村はずれで、ヒツジの番をしているひとりの少年がいました。

「たいへんだ、 たいへんだ! オオカミが来るぞ!」

 ある日、この少年の叫び声が聞こえるので、村人たちは急いで少年の元へ駆けつけまし

た。

 しかし、人々が来てみると、オオカミなどどこにもいません。そこには、少年がひとり笑い

ころげていました。

「アハハハハ。うっそだよ〜だ」

 村人たちは少年をこっぴどく叱りましたが、とにかくヒツジも少年も無事だったので安心

し、戻っていきました。

 何日かして、再び少年の叫び声が村に響き渡りました。

「たいへんだ、たいへんだ! オオカミが来たぞ!」
 
 村人じゅうの人々が急いで駆けつけましたが、そこには同じく少年が笑い転げているだ

けでした。

「アハハハハ。また、だまされてやんの」
 
 この後も少年の叫び声が何度か聞こえ、その度に村人たちは駆けつけましたが、すべて

少年の狂言なのでした。
 
 ある日、少年がいつものようにヒツジの番をしていると、村のはずれに本当に一頭のオオ

カミがやってきました。少年はギョッとしましたが、オオカミのほうはまだ少年に気付いてい

ません。少年は冷や汗をかきながら、オオカミに気づかれないようにそっと後ずさり、くるっ

と向きを変えて駆けだすと、村の中心まで来て大声で叫びました。

「たいへんだ、たいへんだ! オオカミが来たぞ!!」
 
 ところが少年の声は聞こえているはずなのに、誰も本気にせず出てきてくれません。
 
 少年は半分泣きそうになりながら絶叫しました。

「本当だよぉ! オオカミが、 あ・・・・・・・」
 
 そこまでいって、少年は恐怖のあまり口がきけなくなりました。目の前の家屋の上に、

何匹ものオオカミが鋭い目で少年をにらみ、とがった牙をむいて唸っていたからです。

「ぎゃああああああ!」
 
 少年の悲鳴は村じゅうに響き渡り、あとには無残に食いちぎられた、誰とも判別のつか

ない肉のかたまりが転がっていました。


さて、この本は、三浦教授の「はじめに」からすると、原典を忠実に掲載しているはずなのですが、

実際の原典では次のようになっています。


シャンブリ318(ペリー210) 悪戯をする羊飼
 

 羊飼が彼の羊の群を或る村からずっと遠くへ追って行くとき、このような悪戯をいつもやっ

たものです。つまり、大声で助けを村人たちに求めて、狼どもが羊たちを襲ったと言ったのです。

二度三度村のひとたちは驚いて飛び出して来て、その後で笑われて立ち去ったものですが、とうと

う本当に狼たちがやって来るようなことになりました。狼どもは羊たちを引き裂き、羊飼は助け

を求めて村の人たちを呼びましたが、村の人たちはまたいつものように彼が悪戯をしているのだ

と考えて、あまり気にかけませんでした。こうして彼は羊の群を失うことになりました。

 この話は、嘘吐きの得るところは、本当のことを言う時でも信ぜられないということである、

ということを明らかにしています。                              (イソップ寓話集 岩波文庫 山本光雄訳)

 


このように、原典では、羊は食べられても、羊飼いが食べられることはありません。これは、原典に

限らず、タウンゼント版、チャーリス版、ヒューストン版、その他・・・・一般的な西洋のイソップ寓話集

では、羊飼いが食べられてしまうというような話はないのです。


ところで、「童話ってホントは残酷」の巻末には、参考文献が書き連ねられているのですが、驚いた

ことにそこには、今見た、『イソップ寓話集』山本光雄/岩波文庫 の名があげられているのです。こ

の他、イソップ関係の参考文献には、

『少年少女世界の文学1 ギリシア神話 イソップ物語 北欧神話』 福原麟太郎・山室静訳/河出

書房という本の名もあるのですが、この本も実は次のようになっています。
 

ヒツジ飼いの少年とオオカミ

前略
 ついにある日、ほんとうにオオカミがきました。ヒツジ飼いの少年は、本気でさけびました。しかし村

人たちは、またいつものいたずらだろうと思って、少年のさけび声に注意をはらいませんでしたか

ら、オオカミはヒツジを食べてしまいました。

 そこでヒツジ飼いの少年は、こうなってからではおそすぎたのですが、うそつきは、真実を語るとき

も、信じてもらえないことを知ったのでした。
 

「童話ってホントは残酷」は、タイトルだけは、この本を用いたようですが、話の内容は全く違ってい

ます。ちなみに、この本は、トーマス・ジェームス版を基に、福原麟太郎が訳したものです。

このように、どちらの参考文献にも、「羊飼いが食べられる」というような記述はありませんから、

「童話ってホントは残酷」の結末は、捏造としか言いようがないのです。


次の、なんともオドロオドロシイ絵(左)は、この本の挿し絵なのですが、この絵と、(右)の絵を比べ

てみると、残酷さにおいては、比べるべくもありませんが、絵の感じはよく似ています。特に、真ん中

の「狼が羊の首に噛みついている」シーンは、(右)の絵と、構図が殆ど同じと言えるのではないでし

ょうか?

(右)の絵は、ドイツで出版された、シュタインヘーヴェル版 (Basel: Jacob <Wolff> von Pfortzheim.

1501) からのものなのですが、・・・・・・もし、「童話ってホントは残酷」の挿し絵がこの絵を基にしてい

るとしたら、ちょっと問題があるのではないでしょうか?
                                       


(左)童話ってホントは残酷より                 (右)ドイツで出版されたシュタインヘーヴエル版(初版1480年頃)

 

絵をクリックするとそれぞれ大きな画像になります。


さて、以上の話とは別に、実は、日本のイソップ寓話の「狼少年」の話には、羊飼いの少年がオオカ

ミに食べられてしまうという結末の本がいくつかみられます。
   

ポケット新譯イソップ物語

イソップ物語

こども絵文庫6 イソップ歌ものがたり

イソップ物語

ひろすけ幼年童話文学全集

イソップ絵文庫 ねずみのそうだん

幼年世界名作文学全集9 イソップ童話         

イソップのお話 オールカラー版 世界童話1 

ひらかなイソップものがたり第12          

5さいから7さい イソップどうわ 名作せかいのおはなし

イソップどうわ 世界のどうわ12           

偕成社版 幼年絵話全集(4) イソップものがたり    

きたかぜとたいようこどものための世界童話の森  

イソップおはなし絵本    

岡村盛花堂

アルス

羽田書店

偕成社

集英社

日本書房

小学館

小学館

金の星社

偕成社

偕成社

偕成社

集英社

主婦と生活社

日野蕨・馬場直美 1910(明治43)

新村出 1929

八波則吉 1950

土家由枝雄 1959

浜田広介 1961

浜田広介 1979

波多野勤子 1963

波多野勤子 監修 1971 同上

与田準一 1964

平塚武二 1965

平塚武二 1969 同上

久保喬 1969 

立原えりか 1983

立原えりか (1990年以降の作品)

以上の話は、羊飼いがオオカミに食われてしまう話です。例えば、(イソップ物語 アルス 新村出)

では次のような結末になっています。


羊飼ひと狼

 前略

 その日の夕がた、ひとりの村びとが山の牧場の方から、まっ青顔をして、

下りてきました。牧場で、たくんさの羊が、狼のために、食ひころされ、そればかり

か、あの少年自身も、赤い血にそまつて死んでゐたのを見て来たのです。


原典に忠実でないにしても、せめて参考文献には、「羊飼いが食われる」という本を入れてもらいた

いものです。

ところで、「童話ってホントは残酷」の話には、更に特異な記述がみられます。

それは、

少年は冷や汗をかきながら、オオカミに気づかれないようにそっと後ずさり、くるっと向きを変えて駆

けだすと、村の中心まで来て大声で叫びました。「たいへんだ、たいへんだ! オオカミが来た

ぞ!!」

 ところが少年の声は聞こえているはずなのに、誰も本気にせず出てきてくれません。

と、いう部分です。類話では、少年は「村の中心」まで逃げてきたりしません。だいたい、村の中心ま

で逃げて来たのに、「誰も本気にせずに出てきてくれません。」などというのは、道理に合いません。

(真夜中ならいざ知らず、昼間、村の中心に誰もいないなど考えられず、仮に、誰もいなかったとして

も、窓の外を眺めるくらいのことはするはずです)

どうせ、ここまで捏造するならば、

村人は、少年の嘘に腹を立てていたので、助けようともせずに、少年が狼に食われるのを楽しんで

見ていました

と、でもすべきだったのではないでしょうか?
 

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