イソップ寓話と、インド説話と、今昔物語、 そして、ラ・フォンテーヌ寓話と、

イソップ寓話
 

1.イソップ寓話とインドの説話
 

イソップ寓話と、インドの説話とは、お互いに影響しあっているのではないのか? と、いうようなことが

言われることがあるのですが、イソップ寓話の『亀と鷲』と、インド説話(パンチャタントラ等)の

『亀と二羽の白鳥』もその一例のようです。

そこでこの話を、まず、イソップ寓話の原典で、次にパンチャタントラで、見てみたいと思います。


ペリー230(シャンブリ351) 亀と鷲

鷲が飛んでいるのを見た亀が、自分も飛びたいと思った。そこで鷲を訪 ね、何なりと

お礼はするから教えてほしい、と頼んだ。それは無理だと言っても、し つこくせがむの

で、鷲は亀をつかむと、空高く舞いあがり、岩の上で放した。亀はそこ に落下して、割

れて死んだ。

 人間の場合でも、張り合う心からわが身を損なう人が多い、というこ とをこの話は説

き明かしている。(岩波文庫 イソップ寓話集 中務哲郎訳)


パンチャタントラ 第1巻き13話 『亀と二羽の白鳥』

  ある池にカンブグリーヴァという亀がいた。彼にはサンカタとヴィ カタという二羽の白鳥の友

達がいて、この上なく仲がよかった。二羽の白鳥は彼と一緒の池の岸に 座って、多くの聖仙たち

の話を語り、夕暮時に自分の巣に帰っていった。こうして時が経った が、ある時雨が降らなかっ

たために、池は次第に乾燥した。そこで不運に苦しんだ二羽の白鳥が亀 に言った。

  「ねえ君、この池は泥だけしか残っていない。君は一体どうなるん だ。僕たちの心は不安でい

っぱいだよ」

  それを聞いてカンブグリーヴァが言った。

  「ああ、水がなくては、もう生きていられないよ。だかなにか方法 を考えなくてはいけない。

なにか堅い綱か軽い木片をもってきて、沢山の水を湛えた池を探してく れ給え。そうしたら、

私はその木片の真中を歯でくわえているから、君たちはその木片の先端 の部分をつかまえ

て、私と一緒にその池に運んでくれ給え」

  二羽の白鳥は言った。

  「よし、その通りにしてやろう。だが、君は沈黙の戒を守らねばな らぬ。さもないと君は木片

から落ちてしまうからな」

 その通りに事が運んでいった時、カンブグリーヴァは、下にある一つ の町を見た。町の人々は

そんな風に(亀が)運ばれていくのを見て驚いて言った。

  「やあ、車輪みたいなものが、二羽の鳥に運ばれているぞ、見てご らん」

  彼らの叫び声を聞くと、カンブグリーヴァは言った。

  「何でそんなにわめくのだ」

 と、言いつつ言葉半ばで落ち、そして町の人々に粉砕された。(大日本絵画 パンチャタントラ)


両者はかなり似ているので、実際に何か関係があるのかもしれませんが、確かなことは分かって

ないようです。

この、パンチャタントラの話は、日本でも今昔物語に収められています。


今昔物語05.24『亀、鶴の教えを信ぜずして地に落ち甲を破る語』

 今は昔、天竺でひでりとなり、水が枯れて、草一本なくなった時があった。その折、一つの池があって、

そこに一匹の亀が住んでいたが、池の水が干上がって、亀は死にそうになった。

 このとき、一羽の鶴がこの池に来て餌をあさっていた。亀は鶴のそばに行きこう言った。「そなたとわ た

しとは前世の縁があり、鶴と亀は一対のものであると仏は説いておられる。ところでこの池の水も涸れ て、

私の命も絶えてしまいそうです。どうか私を助けてください」。

 すると鶴が、「まさにそなたの言うとおりです。そなたが言い出さぬ前に、どこかの水のある辺りに連 れて

行こうと思っていました。とは言っても、私はそなたを背負うことはできず、抱こうにもちからがなく、 口にくわ

えようとしてもうまくゆきません。できそうなことといえば、一本の木をそなたにくわえさせ、われわれ 二羽が

その木の両端をくわえて連れて行くことです。しかし、そなたは元来おしゃべりです。もしそなたがもの を尋ね、

私も過ってものを言ったりして、互いに口を開けたなら、そなたは墜落して死んでしまいます」という。 亀は、

「連れて行ってくださるならば、私は口を縫いつけて、けっしてものを言いません」と答えた。

 鶴は二羽で木の両端をくわえ、亀にもそれをくわえさせて空高く飛んで行った。こうして飛んで行きな がら、

山・川・谷・峰の色とりどりに美しい風景をはじめてみたものだから、なんとも感に堪えず、「ここはど こですか」

と聞いた。鶴もまた我を忘れて、「ここですか」といった。とたんに口が開いたので、亀は空から落ちて 命を失っ

てしまった。

 このようなわけで、おしゃべりの習性のある者はわが身わわが命のことさえ顧みようとしないのであ る。仏が経

文で、「口を守り意を摂(おさ)め、身に犯すことなかれ」などといっておられるのは、これを説かれた ものであろう。

また世間で、「不信の亀は甲を破る」といっているのはこのことをいうのである、とこう語り伝えている ということだ。


更にこの話は、亀の甲羅にはなぜひびが入っているのか? というような起源説話にもなっ ています。


日本昔話通観インデックス500 亀の甲羅

日照りで池が干上がり、亀が困っていると、二羽の鶴が亀に棒をくわえさせ、口をきくな、と注意して、 棒をくわえ

て他の池へ向けて飛びたつ。地上の子供たちがその光景を見てはやしたてると、亀は腹をたてて口をき き、地上

に落ちる。亀の甲羅のひびは、このときできたものだ。


日本昔話通観インデックス589 亀の天昇り

三匹の亀が昇天する竜に頼み、先頭の亀がその尾に食いつき、数珠つなぎになって天へ向かう。

途中で竜が亀の安否をただすと、亀は返事をして元の池に落ちる。


2.パイドルス系とバブリオス系の話

(1)パイドルス系
 

イソップ寓話の『亀と鷲』の話なのですが、この話は紀元前一世紀頃に、パイドルスによって翻案が

なされ、韻文化されるのですが、それが次の話です。


パイドルス 2.6 ワシとカラス

 力の強い者を相手にするときにはどれほど守りを固めても十分とはい えません。そのうえ腹黒い

参謀まで敵に加わればどうなるでしょう。力と悪知恵のまえには一巻の 終わりとしかいえません。
 
 ワシがカメを空高く運んでいました。カメは甲羅で身を包み 隠していますから、ワシの爪で傷つ

く心配はありません。

 そこにカラスが飛んできて、近くではばたきながらワシに言いまし た。

「爪の先に立派な獲物がぶら下がっていますね。でもこれからどうする つもりですか。私が教え

てあげなければ、重いだけでくたびれ儲けですよ」

 ワシが分け前を約束すると、カラスはこう入れ知恵をしました。

「硬い甲羅ごと、空中から岩に落とせばいいんです」

甲羅さえ砕けてしまえば、簡単に中味を食べられるというわけです。こ の抜け目のない忠告にワ

シは感心して従いました。そして、「先生」にたっぷりと分け前を与え ました。

 こうして天からの贈り物で守られていたカメも、二羽の鳥には太刀打 ちできず、みじめな死に方

をしました。(国文社 イソップ風寓話集 パエドルス 岩谷智訳)


このように、パエドルスは、かなりの翻案を行っているのです。

そして更に、15世紀にドイツで出版された、シュタインヘーヴェル版では、この話が、

Der Adler, die Schnecke und die Krahe(ワシとカタツムリとカラス)という題名に変容しなす。

(これはドイツ語の部分であって、ラテン語の部分はDe aquila, testudine et corvo 

「ワシとカメとカラス」という題名ですから、パエドルス版とほとんど変わりません) 

シュタインヘーヴェルがなぜ、カメをカタツムリに変えたのかは、分かりませんが、挿し絵は次の

ようなものです。

Aesopus; Steinhowel, Heinrich; Brant, Sebastian. Basel: Jacob <Wolff> von Pfortzheim. 1501

 

そして、更に、これがキャクストン版では、「くるみをくわえた鷲とワタリガラス」という具合に変容

し、話の内容も大きく変容します。


キャクストン 1.14  くるみをくわえた鷲とワタリガラス

 万全の備えをしている者も、偽りの助言によってだまされることがあ る。これに関してイソップはこ

ういう寓話を語っている。
 
  鷲があるとき、くるみの実を口にくわえて木に止まってい た。だが彼はそれを割ることができなか

った。

ワタリガラスがやってきて、こう言った。「その実はぜったい割れない よ。おまえさんが精いっぱい高

く舞い上がって、それを岩の上に落とさないかぎりはね」そこで鷲は舞 い上がって、その実を落とした。

かくて彼は餌を失ったのであった。

 このように、偽りの助言や中傷によって、多くの者がだまされるの だ。

(岩波ブックセンター イソップ寓話集 伊藤正義訳)


キャクストンが、なぜ、カタツムリをクルミに変えたのかは分かりませんが、結末も教訓も随分と変わ

っています。(挿し絵は、上のシュタインヘーヴェル版と同じようにカタツムリだそうです)

更に時代が下がって、1690年に出版された、レストレンジのイソップ寓話集では次のようになって

います。


カラスと貝

 一羽のカラスが、貝を力一杯叩いていたが、中味を取り出すことが出 来なかった。すると、別な

カラスがやってきて、力でこじ開けようとしても無駄だよ。頭を使わな ければ……。この貝を空に

運んで、出来るだけ高く運んだら、あそこの岩に落とすんだ。そうすれ ば、貝は自分の重さで割れ

るから・・・・。

 こうして、カラスは、相方の助言に従って貝を割ることができた。し かし、彼が飛んでいる間に、

相方のカラスは、さっと地面に降下すると、貝の中味を持って飛び去っ た。

教訓:

慈善は同胞からという諺があるが、人々が隣人に親切にするのは、大抵 は自分の利益のためである。


レストレンジの話は、キャクストン版よりも、教訓がはっきりとしていますし、話自体も面白いと

思います。しかし、それにしても、随分と話が変容しています。基となるパイドルス版とと比べて

みると、にわかには同系列の話だと信じられないくらいです。

・・・・相手をうまいこと欺いて、落とした獲物を、横取りするという話は、「キツネとカラス」

の話を想起させます。


タウンゼント 95 キツネとカラス
 

 カラスが、盗んだ肉をくわえて、木にとまっていた。キツネはそれを 見ると、その肉がどうしても欲

しくなった。そこで、キツネは狡猾な策略でもってそれをせしめた。

「ああ、なんて素敵なカラスなんだ!」キツネはそう叫ぶと……肌はき め細やかで、容姿端麗だと、カ

ラスを褒めちぎり……もし、彼女の声が、姿と同じように素敵でさえ あったならば、まさに、鳥の女王

様だ。と言った。

キツネは、カラスをペテンにかけようとこんな事を言ったのだが、しか し、カラスは、自分の声に着せら

れた汚名を注ぐことにやっきになっていた。彼女はカアと大声で鳴こう と、肉を落とした。

キツネは、すぐさま肉を拾い上げると、こんな風に彼女に言った。

「親愛なるカラスさん、あなたの声は十分に美しいですよ。でも、おつ むが足りないですね」
 


こうして見てみますと、レストレンジの「カラスと貝」の話は、「鷲と亀」の話よりも、この、

「カラスとキツネ」の話の方に近いようにさえ思えます。

ところで、「ワシとカタツムリ」の話は、1593年に日本で初めて出版されたイソップ寓話集、

「イソポのハブラス」と、1600年頃に出版された「伊曽保物語」の両方に収められています。

話の内容は殆ど同じなので、「イソポのハブラス」で見てみたいと思います。


イソポのハブラス  ワシとカタツムリの事。
 

 あるワシ、カタツムリを見つけて食らおうとすれども、叶わなんだれ ば、カラスがそばから「我にそ

の半分を下されば、食べ方を教えまらせうず、そのカタツムリを取って 高く飛び上がり、石の上に落と

せられい」と言えば、ワシその如くする時、たやすく割れた。

  下心

 たとえ、いかなる威勢位に盛んなる者でありといふとも、余の人の意 見をばいつも聞こうずることが

専らぢゃ。威勢は知恵を増すものではおりない、知恵は学者のみにあ る。

(東洋文庫 吉利支丹文学全集 2 参照)


この話は、シュタインヘーヴェル版のドイツ語版に近いものと思われます。

 

(2)バブリオス・アウィアヌス系
 

さて、今までは、パイドルス系の話を見てきたのですが、パイドルスと並んで、イソップ寓話の韻文化

を試みた代表的な作家に、バブリオス(西暦一世紀頃)がいます。バブリオス版のこの話は、多少の潤

色は見られますが、ほぼ原典と同じと言ってよいものです。しかし、時代が下がって、4世紀頃のアウ

ィアヌスは、このバブリオス版を基に更なる翻案を行っているのですが、それを見てみたいと思いま

す。


アウィアヌス 2.亀と鷲

昔のことである。自分は勤勉なのに、歩みが鈍いために、一日かかって も何もできず、何の進歩もない

ことを不公平だと思っていた亀が、翼ある鳥たちにこんなことを言っ た。誰か素早く飛べる者が、自分

を運んで、安全に地上に下ろしてくれるならば、まばゆい真珠など価値 のある貝殻を紅海の砂浜から見

つけてやると……。

こうして、亀は鷲に叶えられるはずのない約束手形を連発した。しか し、彼女の嘘言う舌も、自分自身

の嘘と同様に裏切られることになる。

彼女は嘘で得た、鷲の翼の助けをかりて、空高くへと舞い上がった。し かし、哀れ、亀は、鷲の恐ろし

く鋭い鉤爪で殺された。

亀は高い空で、その死に臨み、自分の願いがこのような形で叶えられ た、不幸を嘆いた。

偉大なる成功は、大変な苦労によってのみ達成されるものであり、怠け 者の末期がどういうものかを、

彼女は身を以て示したのであった。
 
目先の栄光に、有頂天になる者は、高望みし過ぎたツケを払わ されるものである。

(Duff 英訳より hanama訳 )


このように、アウィアヌス版では、亀は地面に落とされて死んだのではなく、鷲の鉤爪で殺されたとい

うような結末になっているのです。

この後、アウィアヌス版は、この形のままシュタインヘーヴェル版に取り入れられています。シュタイ

ンヘーヴェル版やキャクストン版には、パエドルス系の話と、アウィアヌス系の話の二つが別々に収め

られているのです。

そして、日本の「イソホのハブラス」にも「亀と鷲」の話が収められています。


イソポのハブラス 亀と、鷲との事。

ある亀、飛びたい心が付いて、鷲の許に行って「飛ばうずる様を教えさ せられい、お礼には、すぐれた

珠を奉ろうずる」

と言うによって、鷲はかい掴んで雲まで上がって、「望みは達したか」 と言えば、「なかなか、今こそ

望みは達したれ」

と言うほどに、「されば約束の珠をくれい」と言えば、与えうずる珠が 無うて、無言するによって、巌

の上に投げ掛けて

殺して食うた。

   下心

数多の人は我が身に応ぜぬ楽しみを巧むから、一旦その楽しみをも遂ぐ れども、その道から落ちて、身

を過つるものぢゃ。

(東洋文庫 吉利支丹文学全集 2 参照)


「イソポのハブラス」では、亀は巌の上に落とされていますので、これは、アウィアヌス系の影響はほ

とんど受けていないと言えると思います。ただ、「イソポのハブラス」の場合、落とされる理由が、

「与える珠がなく嘘を言ったことへの罰」

という具合になっています。これは、キャクストン版などにも見られることです。


2.ラ・フォンテーヌとパンチャタントラ
 

次に、フランスのラ・フォンテーヌの著した、「寓話」という本について見てみたいと思います。

この本は、ほとんどが、イソップ寓話からの翻案なのですが、ところが、当時、パンチャタントラがペ

ルシャ語経由で、フランス語に訳され、それを読んだ、ラ・フォンテーヌは、大変感銘を受けたらしく、

下巻では、14話程、パンチャタントラを題材にして寓話を書いています。

そして、ラ・フォンテーヌは、この亀の話を、イソップ寓話からではなく、わざわざパンチャタントラ

から翻案しているのです。  


10.2 カメと二羽のカモ
 

ふわついたカメがいて、

自分の穴にいるのにあき、旅をしたいと思った。

とかく異国はよく見える、

とかくびっこは外へ出たがる。

二羽のカモにカメのおばさんが

そのすばらしい計画を話すと、

かれらは言った、自分たちはあなたの望みをかなえてやれる方法を知っ ている、と。

「あのひろい道が見えますか。

空を通ってぼくらはあなたをアメリカへお運びしましょう。

あなたはごらんになるでしょう、多くの国家を、

多くの国王、多くの民族を。そしてあなたは

いろいろちがった風俗を見聞し、そこから利益をえるでしょう、

ウリッセスがそうしたように。」ちょっと思いがけないことだった、

こんなところでウリッセスにでっくわすとは。

カメはその勧めに耳をかたむけた。

話がまとまると、カモたちは巡礼を運んでいくための

ひとつの機械をつくりあげる。

一本の棒を横にカメの口に通す。

「しっかりくわえていなさいよ」とかれらは言った。「放さないように 気をつけて。」

それからカモはそれぞれ棒のはしをつかむ。

カメは空中へあがり、いたるところで人々は目をみはる、

そんぐあいに、歩みののろい動物が

家を背負ったまま、二羽のカモの

ちょうどまんなかに挟まれて、通っていくのを見て。

「奇跡だ!」とみんなは叫ぶ。「ほら、見たまえ、雲間に

カメの女王がお通りになるのを。」

「女王! ええ、そうよ、あたしはたしかに女王よ、

お笑いでない。」カメはなにも言わずに道中をつづけたほうが

ずっとよかったろうに。

口をあけたために、棒を放して、

カメは墜落、見物衆の足もとで惨死をとげる。

不用意なふるまいがその死の原因となった。

軽率、おしゃべり、それに、愚かな虚栄心、

それに、つまらぬ好奇心、

これらはみんな近しい身よりのもので、

いずれも同じ血筋から生まれるもの。(岩波文庫 ラ・フォンテーヌ寓話 今野一雄訳)
 


このように、ラ・フォンテーヌにより、イソップ寓話とインド説話の混淆が行われるわけですが、恐ら

く次の話は、このラ・フォンテーヌの寓話を基にしているものと思われます。
 

Bewick's Select fables of Aesop and Others.

Faithfully Reprinted from the Rare Newcastle Edition published by T.SAINT in 1784

LONDON LONGMANS, GREEN,AND CO.
 
 

亀と二羽のカラス
 

しばしば好奇心は人々を魅了する。そして、好奇心の虜になる と、人は、虚栄心に満ちた無分別な人間の

ように、自分には全く不向きで危険なことを企ててみたくなる。
 

 一般的に、虚栄心と無意味な好奇心は、有害なものである。この感情 の赴くままに行動する者には破

滅が待っている。

 人里はなれたへんぴな所で日がな一日すごしていた亀が、よその国々 を訪れてみたいというようなこ

とを夢想した。そして単細胞の亀は、自分の考えを二羽のカラスにうち 明けた。するとカラスたちは、

その願いを叶えてやることを承知した。カラスたちは、亀が、棒きれの 中程を口にくわえてしっかりと

つかまっているならば、自分たちが、両端をもってやり、何処へでも行 きたいところに連れていってや

ると言った。

 亀はその申し入れを快諾した。準備万端整って、カラスたちは、亀と 共に空に飛び立った。しかし、

彼らの空の旅はそう長くは続かなかった。お喋りの鵲が、カラスたちを 出迎えると、彼らが共に運んで

いるのは何かと尋ねた。

するとカラスたちは、亀の女王様だと答えた。この新たな、そして全く 相応しくない称号に自惚れた亀

は、その称号を確かめようと、まさに彼女は口を開いて聞き返そうとし ていた。彼女は、口を開くと、

真っ逆さまに落ちて行き、粉々に砕けてしまった。(hamama訳)


この話の挿し絵を見ると、カラスは嘴で棒をくわえているのではなく、足で掴んで運んでいます。

本のタイトルは、Aesop and Others となっていますので、作者は、この話がインドの説話であるこ

とを知っていたのでしょうが、読者は、これをイソップ寓話と勘違いしたのではないでしょうか?


下の表は、今まで見てきた話を纏めたものです。
 
 

系統 運ばれ
る動物
空の飛び方 結末


パンチャタントラ(1〜6世紀) 二羽の白鳥 棒の両端を鳥が銜え真ん中を亀が銜える。 亀がお喋りをし て落ちて死ぬ。
今昔物語(12世紀) 二羽の鶴 同上 同上
ラ・フォンテーヌ(17世紀) 二羽の鴨 同上 同上
Bewick(18世紀) 二羽のカラス 棒の両端をカラスが足で持ち真ん中を亀が銜える。 同上



原典
(デメトリウス)

(紀元前4世紀)

原典
(イソポ)
16世紀
鷲の鉤爪で掴む 亀は、鷲に落と されて死ぬ
アウィアヌス
(4世紀)
同上 鉤爪で殺され る。
パイドルス
(紀元前1世紀)
パエドルス 鷲とカラス 同上 カラスに入れ知 恵をされた鷲
が亀を岩に落として食べる。
シュタイン
ヘーヴェル

15世紀
(イソポ)

(蝸牛)
鷲とカラス 同上 同上(カタツム リ)
カクストン
(15世紀)
胡桃 鷲とカラス 鷲が胡桃を口で銜えている。 カラスに入れ知 恵をされた
鷲が胡桃を落として無くす。
レストレンジ
(17世紀末)
二羽のカラス −−−−−− 別なカラスに入れ知恵されて
貝を空から落とし、その貝を
割るが横取りされる。

 
さて、最後に、とっておきの寓話を紹介したいと思います。


ヒューストン編  亀とカラスたち

何処か別な所に住みたいと願っていた亀が、多大な報酬を約束して、鷲 に新しい家へ運んでくれるよう

にお願いした。鷲は承知すると、亀の甲羅を鉤爪でひっつかみ、空高く へと舞い上がった。彼らが飛ん

でいると、カラスがやって来た。そしてカラスは鷲にこんなことを言っ た。

「亀はなかなか美味しいよ」

すると鷲がこう答えた。

「でも、甲羅が硬すぎるよ」

「岩なら甲羅だって簡単に割れるさ」

カラスのこのような助言により、鷲は亀を鋭い岩に落とした。こうして 二羽の鳥は美味そうな亀料理をこ

しらえた。
 

決して敵の羽根に乗って舞い上がってはならない。 (hanam訳)


この話を見てみると、「何処か別な所に住みたい」というのは、どうもパンチャタントラの影響を受て

いるようです。そして、前半は、明らかに「イソップ寓話」の原典風です。そして後半は、パイドルス

系の寓話のようです。

こういうのを、キメラと言うのでしょうか? 三位一体というのでしょうか?
 

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