世界大百科事典 平凡社 1998年版

兎と亀(うさぎとかめ)

昔話。動物社会の競争を主題にした動物昔話。国際的には<hare and tortoise race>と呼ばれる。

イソップ寓話にある。日本では1593年(文禄2)天草で刊行された『伊曽保物語』にその最初

の形が認められる。ウサギとカメの駆け競べを語るが、俊敏なウサギが途中で昼寝をして鈍重な亀

に負けるという物語。最後にウサギの慢心を戒め、亀の努力をたたえる教訓を語る場合が多い。この

昔話は他にハリネズミ・カエル・カニと小鹿・キツネ・小鳥などの競争を内容にする。いずれの場合

にも、形状や性情の対照的な動物を配して、条件の整わないほうに勝利がもたらされると語る。日本

では(蚤と虱の駆け足)(むかでとなめくじの競争)などが顕著な例である。この昔話は、競争の目

的や勝利によって得る利益を語らない。それは、競争によって神意を占った、古い素朴な行動様式の

仮託であると解釈され、競争中に眠ったウサギの失敗は、課せられた禁止事項を破った者への懲戒と

も説かれる。 



 

まず、基本的な誤りを指摘しますと、1593年(文禄2)天草で刊行された『伊曽保物語』には、

『兎と亀』の話は入っておりません。

また、その後、1600年頃に出版された、古活字版『伊曽保物語』にも、『兎と亀』の話は入っておりません。

恐らく、イソップ寓話の『兎と亀』が、日本で最初に出版されたのは、明治以後のことであると思われます。

(もし、明治以前の版で、『兎と亀』の話が出てくる本を知っているという方は、是非お教え下さい)

そしてさらに、この部分の記述で不可思議なのは、

天草で刊行された『伊曽保物語』にその最初の形が認められる

と、いう下線部です。一体、「最初の形が認められる」とは、どういう意味なのかがよく分かりません。

イソップ寓話の、『兎と亀』の話は、紀元前300年頃には、既にギリシアで出版されていたものと考えられて

おります。(出版と言っても、勿論印刷技術があったわけではありません。パピルス紙への写本という意味です。)

ですから、仮に16世紀の後半に、『兎と亀』の話が日本に伝わっていたとしても、「最初の形が認

められる」というような、あやふやなものではなく、成熟した話が伝わっていたに違いないのです。
 



 

次に、不可解なのは、

この昔話は、競争の目的や勝利によって得る利益を語らない。

と、いう記述です。イソップ寓話の原典の書き出しは次のようになっています。

ペリー226(シャンブリ352) 亀と兎 

 亀と兎が足の速さのことで言い争い、勝負の日時と場所を決めて別れた。・・・・以下省略 
                                        
(岩波文庫 イソップ寓話集 中務哲郎訳)
 

このように、競争の目的は、亀と兎ではどちらが速いか白黒をつけるため。ということが誰にでも分かるような書き

出しとなっているのです。それに、兎と亀の童謡にしても、
 

もしもし亀よ、亀さんよ、世界のうちでお前ほど、歩みの鈍い者はない、どうしてそんなに鈍いのか。

なんと仰る兎さん、そんならお前と駆け比べ、向こうの小山の麓まで、どちらが先に駆けつくか・・・
 

と、なっていますから、兎と亀の競争の目的は、一般的な共通認識になっているはずです。

それでは、勝利による利益についてはどうか? と言いますと、まあ、どちらが速いか決める勝負ですから、別段

褒美などなくてもよいとは思いますが、例えば、ハルム版では次のようになっています。
 

ハルム版 ウサギとカメ

カメの足がおそいのを、ウサギがばかにして笑いました。

「あなたは足がはやくても、わたしのほうが勝ちますよ。」と、カメがいいました。

するとウサギは、

「そんなこといったって口さきだけだ、競争しよう。そうすればわかる。」と、いいました。

「だれが場所をきめて、勝ったものにほうびをだすのです?」と、カメはいいました。 ・・・・以下省略

(岩波少年文庫 イソップのお話 河野与一訳)
 

また、ラ・フォンテーヌの『寓話』では、次のような記述が見られます。
 

寓話 6.10 兎と亀

駆けたとてなんにならうぞ、よい時に出かけるが肝心で。

兎と亀が一つの証拠。亀がいふ、

「賭けをしようか、お前さん、私より早く

あそこの目的(めあて)に着けぬから。」・・・・以下省略

(白水社 ラ・フォンテーヌ寓話 市原豊太訳)
 

更に、Charles版では次のようになっています。
 

兎と亀

 ある日、兎は、亀の歩みが鈍いのをからかい、そして、自分の走るのが速いことを

ひどく自惚れて自慢した。

亀は兎の嘲笑に対しても腹も立てずにこう言った。

「じやあ、競争をしてみましょう。5ドル賭けますから、5マイル走りましょう。そして

あそこにいる、狐に審判になってもらいましょう」 ・・・・以下省略 (hanama訳)
 

この話では、5ドルと具体的な金額まで示されています。


ところで、日本の昔話などには、次のような話が見られます。
 

のみとしらみ

 昔、のみとしらみとが出あった。新田の端から山王さまのところまで走りぐっちょを

した。のみはぴょんぴょん跳ねるのでたいそう早いが、しらみはもじもじしてのろまで

あった。のみは勝つものときめきって、途中の茶屋がかりして昼寝したので、しらみに

負けてしまった。・・・以下省略 (岩波文庫 日本の昔話 関敬吾編)
 

この場合、ノミとシラミは、足の速さなどを言い争ったわけではありません。単に競争

をしたのです。恐らく、百科事典の著者は、このような日本の昔話から、

競争の目的や勝利によって得る利益を語らない。

と書いたのかも知れませんが、それは、日本の昔話であって、イソップ寓話の「ウサギ

とカメ」の話には、全く当てはまらないのです。
 


参考文献

1593年(文禄2)天草で刊行された『伊曽保物語』
については、(平凡社 東洋文庫 吉利丹文学集2 新村出 柊源一 校訂 イソポのハブラス)

1600年頃出版された古活字版『伊曽保物語』
については、(岩波書店 日本古典文学大系90 仮名草子集 伊曽保物語, 勉誠社 古活字版 伊曽保物語)
 
 
 

平凡社には、1999/4/12日に、電子メールにて問い合わせたのですが現在まだ回答を戴いておりません。

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